展示品のご紹介
「銅版印刷業」の創業から「ガラススクリーン製造」事業化への道
1868 - 1945 明治元年~昭和20年代

「銅版印刷」のサンプル
石田才次郎がデザイン・印刷した紙巻たばこのパッケージや才次郎が挿絵を描いた外国人向けの「京都案内書」のレプリカなど、石田旭山印刷所が手掛けた銅版印刷のサンプルを展示

「石版印刷」のサンプル、「石田式フィルム版」
石版印刷のサンプルを展示。親油性の画線部にインクを載せて用紙に転写するため大量印刷が可能に。石田才次郎と息子の敬三が開発した「石田式フィルム版」は、石版から転写する際に用いるフィルム版。外国製のものより高い品質と性能を誇った。

線引機
写真原稿や絵画を印刷するのに用いる「ガラススクリーン」。1934年、ガラススクリーンの国産化に成功。その後、大型化、良質化、量産化を目指し、ガラスに微細な線刻を行う「線引機」を1939年にドイツから輸入。この「線引機」にさまざまな工夫を加え、独自の線引技術を確立した。

「ガラススクリーン」のサンプル
写真原稿に「ガラススクリーン」をかざして露光することで印刷版ができる。ガラスの表面には1インチあたり65~200本もの微細な線が描かれており、線数が多いほど細かい表現ができる。
1946 - 1962 昭和21年~昭和37年代

写真製版用ハイベットカメラ
印刷業界の発展を見据え、1946年に国産初の「写真製版用ハイベットカメラ」を開発。ガラススクリーンの専業メーカーから、写真製版機器の総合メーカーへの道を歩み始めた。本気は1号機として製造されたもの。

自動焦点製版カメラ
1952年に開発した全金属製の製版用カメラ「C-8」。その後も懸垂式・低床式・自動焦点式・縦型カメラなどを次々開発した。展示している装置は、新聞広告などの製版をする「自動焦点製版カメラ」。縦型にすることで、省スペースを実現した。

コンタクトスクリーン
ガラススクリーンよりも安価で扱いやすいフィルムで作られた「コンタクトスクリーン」の国産化に成功。大日本スクリーン創立15周年(1958年)に商品化し、「コンタクトスクリーン」は急速に普及していった。

ダイレクトスキャナグラフ
写真製版のデジタル化を目指して、カラー原稿のCMYK色分解と網掛けが同時に行える「ダイレクトスキャナグラフ」を開発。
この装置の大ヒットにより稼いだ利益で、電子業界に進出することができた。
1963 - 昭和38年代~

ターゲットメッシュ・シャドウマスク
1955年、NHKの依頼を受け、テレビカメラの撮像管に使用する「ターゲットメッシュ」を開発。ここで培われた技術とノウハウが、カラーテレビのブラウン管用の部材「シャドウマスク」(1963年)や「アパチャーグリル※」(1967年)の製造技術へと結びつき、エレクトロニクス分野に進出するきっかけとなった。

シリコンウエハー
半導体の元になる「シリコンウエハー」。1枚でより多くのチップが生産できるよう、現在は300㎜ウエハーが主流。
当社グループは、世界トップシェアを誇る洗浄装置のほか、リソグラフィー装置、熱処理装置、検査・計測装置などの幅広い領域でソリューションを提供している。
※ 新方式のカラーテレビ「トリニトロン」の開発に取り組んでいたソニー株式会社からの依頼を受けて生産。
当社唯一の部材事業で、90年代前半の苦境克服の一助となった。