通常の江戸本は片面摺りでそれを折曲げた袋綴じに四つ目の線装です。一枚の板木[★図2]に一丁分を彫刻したもの(板の表に一丁,裏にまた一丁を彫ることが多かったようです)を整版といいます。整版本は十数万標目が判明しておりますから,恐らく二十万近くの標目が摺られ,流通したものと考えられます。大抵の場合は山桜材と言われています。日本の,明治に至るまでの印刷物の大半はこの整版ということになります。享保7(1722)年,三都に出版条例が定まってからは整版の版木がどこにあるのかを書林仲間で統制していましたが,江戸期の正規の出版物の殆どは整版による印刷物でした。
   
★図2
「版木」……整版。頼山陽『山陽詩註』(明治2〔1869〕年)の版木。本文は有界。四周単辺。匡廓の上に頭註がある。
 
     
★図3
『検尿要訣』の版心部。書名の下のベタ部分が魚尾で,木目がはっきりと見える。大学東校官版,明治4(1871)年10月。本文には島霞谷〈しま・かこく〉の製造した鋳造活字を使用した活版本。中本。

   丁の中心部分を版心[★図3]といいます。この版心にある魚の尾のような形をしたベタ,これを魚尾〈ぎょび〉といい,上下にある場合は上魚尾,下魚尾などと呼びます。花のような形をした魚尾は花魚尾と呼ばれます。ノンブルは丁付といいますが,左右中央に丁付がある場合と右に寄せてある場合があります。本を開いて左側に来る半丁を表またはオといい,右に来る半丁を裏またはウと呼びます。つまり「三オ」といえば第三丁表の略記です。また版面を囲む罫線を匡廓〈きょうかく〉といい,これが一本線なら単辺,二本線なら双辺,匡廓がない場合は無辺と呼びます。殆どの双辺の匡廓は内側の罫が細い子持罫状です。整版では匡廓の四隅に切れ目がありませんが,活字版の場合は匡廓も一辺ずつの組合わせとなりますので,四隅に切れ目が生じます。また行間が界線で区切られているものを有界,区切られていないものを無界と呼称します。嵯峨本は無辺無界です。
 これに対して活字版は一字ずつの活字を組んで版面を構成したものです。本文ばかりでなくキリシタン版や駿河版の版心は幾つかの「部品」から成る活字版となっています。整版に対して,活字版は写本に準じた小規模出版という扱いで,書林仲間による自主規制の対象外でした。そのため表紙などに「活字版」と記しながら実際には整版で摺られている書物もあります。林子平の『海国兵談』は幕府の忌憚に触れて版木は没収されましたが,木活字版は何種類も出ています。整版と木活字版の両方を合わせて「木版」と言います。また,様々な活字版を総称して「活字版」といい,特に近代的な鋳造活字で組まれているものだけを「活版」本といいます。木活字版を活版本ということは通常ありません。また乱れ版,乱版〈らんばん〉というものがあります。これは,丁によって活字版であったり整版になったりしている本です。
 活字版というのは一本ずつ活字を入れています。そうしますと,活字の高さがちょっとずつ違うために圧が変わるので,一部分だけちょっと摺色が濃いとか薄いという状態が出やすい。戦前,ムラだけですぐ活字版だと言ってしまった時期がありますが,今の図書学,書誌学の資料批判のレヴェルではもう全然通用しません。というのは田舎版と呼ばれる整版本がかなりあるからです。京,大坂,江戸の三都で出される整版の商品には殆どムラはありませんが地方の印刷物にはムラが目立つことがよくあります。これは印刷に用いられる墨の調合に,三都で営業している印刷業者なりのノウハウがあったのだと言われています。それから,一字ずつ彫刻しているために文字が微妙に「曲がって」見えたり,ほんの僅かに廻転しているように見えることがあります。しかし今日の明朝体ベタ組組版になじんだ眼からすると字間を空けた楷書の整版に「曲がり」を感じてしまうという話はよくありますし,「曲がり」というのは,一旦その気になってしまうと少し曲がって感じたりしますので,あまり重点は置けません。被せ彫りの場合もオリジナルの「曲がり」は保存されます。また,先ず間違いない,というのが活字が顛倒しているケースで,ほぼ確実に活字版と分かります。
     
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