今はもう,そんなこと誰も問題にしなくなりましたけれども,かつて大鳥圭介の活字は彫刻活字だという人と,いや鋳造活字だという人と,両方いたわけです。三谷幸吉という人が彫刻活字だと主張し,川田久長が鋳造活字だと主張して論争になりました。三谷は要するにこの本を見ていなかったのですね。『歩兵制律』を見れば,これはもう一目で鋳造活字だと分かるわけです。漢字であろうと理窟は同じですけれども,特に平仮名というのは漢字に比べて遙かに複雑な曲線を持っていますので,彫刻刀で何字も同体に彫り上げるのは絶対に不可能です。先ほどの『学問のすゝめ』のように,どんなに似せようとしていても,手で一字ずつ彫っている限りは全く同じに作ることはできません。これを見た上で彫刻活字だと言う奴がいたら,お前の目は節穴以下かという話になります。
 一方長崎ではほぼ同時期に,町版――「官版」に対する「町版」――で,書物の格から言っても点数で言っても事業規模でも,江戸の官版とは凡そ比較にならないようなものですが,和文鋳造活字が出てきます。本木昌造というオランダ通詞が3点4冊,どれも小さなパンフレットみたいなものを3年かけて出していきます。最初に出されました幕末本木版は,『和英商賈対話集』[★図44]。中本を横倒しにした横本でして,この欧文は間違いなく活字版です。しかし,この和訳文は整版で,墨色も違います。匡廓は組み合わせていまして切れ目がはっきり分かります。つまり活版と整版の重ね刷りです。
★図44
『和英商賈対話集』……塩田幸八,安政6(1859)年12月。音の高い部分に左傍点をつけ,和訳部分では長音に音引を使用したり拗促音の右寄せを行うなど奇抜な実験的表記法が行われている。
 
     
     
★図45
『蕃語小引』……増永文治・内田作五郎出版,万延元(1860)年10月。
   次の図版は『和英商賈対話集』の次の幕末本木版で『蕃語小引』[★図45]。前編と後編と2冊あるんですが,前編は京都市立西京商業高等学校図書館の平野文庫というところに1冊あるだけです。後編は数冊残っていますけれども,そのうち1冊は印刷博物館にあり,常設展示されています。表紙までが完全に活版印刷です。匡廓の切れ目もはっきりとしています。欧文活字は独得のもので,明らかに長崎版とも大きく違うのですが,『和英商賈対話集』の活字に非常に良く似ていますが,小文字の一部が明らかに違います。大文字は大体同じだと思います。これが,とうとう本木昌造が全ページを活版で組み上げたという本です。
     
     
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