ところでこの本の発行元として増永文治,内田作五郎と本屋の名前が二つ印刷されているんですが,その増永文治(義寛)という人が詳細な書留[★図46]を残しておりまして,そこに本木昌造に頼まれて『蕃語小引』の出版届けを出したという記述が残っていますので,本木昌造が関与していたことは間違いないし,恐らくは著者も昌造自身であろうということになっています。これも中本を横倒しにした横本です。
 『蕃語小引』の翌年になりますけれど Eikeu's Edition Comlys Reading book. という,これは早稲田大学図書館洋学文庫に一冊残されているだけの非常に貴重な本ですが,やはり同じ欧文活字を使ったものが出ています。判型は普通の中本で,日本最初の英語リーダーということになりますけれど,幕末の本木昌造版というのは以上の3点4冊だけです。長崎版にも本木昌造が何らかの形で関与しただろう,ということは当然考えうることです。長崎版に関与したと思われる品川藤兵衛というオランダ通詞は本木とも割と近い仲ではあったのですが,長崎版の刊行事業,あるいは活字そのものにどれだけ,どのように噛んでいたのか,具体的には何とも分かりません。そうこうしているうちに,明治維新になってしまいます。
 本木昌造の幕末・維新期の試行錯誤の様子というのは,築地活版の中に残っていた活字や母型や父型が帝室博物館に寄贈されまして――それは様々な時期の試作品が交ざっているという風に思われるんですけれども――,それが今の東京国立博物館に残っていますが,その遺品によって知ることができます。結局いろいろと試作を続けながらどうしようもなくて,明治になってから上海からアメリカン・プレスビテリアン・ミッション・プレス,美華書館のウィリアム・ガンブルを長崎に呼んでくるのですが,ガンブル以前の技術の記念品として取っておいた遺品が築地活版に残っていたということだと思います。
★図46
増永文治の〔諸事凡書留〕……見られるとおり何箇所かに『蕃語小引』のことや本木昌造の名が記されている。
 
     
 
 
 
 
     
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