近代的な鋳造活字による出版物,これは本邦では安政3(1856)年,長崎で始まります。Syntaxis, of woodvoaging der nederduitche taal.[★図35],訳題は「阿蘭陀文典成句論」。また「セインタキス」「セインタキシス」などと通称します。標題紙の下部に,少し蟲蝕にやられていますが 「1846」という文字が見えます。けれども,この本が長崎で1846年に出たわけではもちろんない。長崎で出されたのは1856年です。これは原本,オランダで出た「セインタキス」の刊記をそのまんま飜印したものです。つまり日本での印刷に関係する刊記は全然ありません。しかし,当時のいろんな公式文書が残っていますので,間違いなく安政3年に出たということが分かっています。これが長崎版と言われるものの最初の標目でして,当初は長崎奉行西役所内(すぐ江戸町の五ヶ所宿老会所内に移転)にあった印刷所で印刷されています。日本の近代的活版印刷というのは欧文の印刷物が最初であったということになります。長崎版は数標目あるんですが,そのまま出なくなってしまいました。長崎版の印刷関係の設備や活字は江戸に送られたといわれていますが,その活字が江戸で遣われた形跡はないですね。
 欧文組版ではベースラインを揃えるのが基本中の基本ですが,長崎版ではベースラインは非常にぐちゃぐちゃです。また活版印刷にとってプレスの圧の調整は非常に大切なことですが,これまた長崎版では,紙は随分厚いんですけれど印圧をかけすぎて裏側に形が全部ぬけている。それから裏写りも結構ある。dとpを見るとお分かりになるかと思うんですけれども,dをひっくり返してpにしたりしています。全然ベースラインが揃っていませんし,ムラはひどいし,とにかく何かとボロいので長崎版は一目で分かると高野彰さんが『本と活字の歴史事典』所載の「幕末の洋書印刷物 活字による見分け方」でお書きになっておられますけれど,まことにごもっともです。一部の方の論文を見ていますと,長崎ではオランダから確かに活字を買っていますので,それが使われたもんだろうというふうに書かれていることがありますが,そんなはずはありません。それまで活字を作ったことのない下手くそな日本人が長崎でこしらえたものだと思います。当時のオランダ商館長はドンクル・クルティウスですけれども,商館長日誌のある部分に,品川藤兵衛という通詞がやって来て,自分たちで作った活字で本を作ることにした,それで幕府の許可をとった,と言ったということを書き付けています。それからしても,明らかに日本人が長崎で自製したものだと思います。「セインタキス」の次には安政4(1857)年に通称「ゲメーンザーメレイルウェイス」,Van der Pij's Gemeenzame Leerwijs.〔英語初歩〕が出ましたが,その標題紙には原本が1854年にオランダで刊行され,安政4(1857)年に長崎で印刷した,というように「セインタキス」には入っていなかった刊記が入ってきます。3点目の長崎版は通称が「レグルメント」,Reglement op de exercitien en manouvres der infanterie.。訳題はなくて〔歩兵操練法〕なんて訳されたりしています。
★図35
長崎版 Syntaxis, of woodvoaging der nederduitche taal.
     
 
 
     
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