小宮山■ 書の文字の形、それからいわゆる描き文字の形、その差は大きいんでしょ?
川畑▲ もちろん。文明開化という社会革命があったとはいえ、明治期の書き文字は、基本的に江戸の流れを引き継いだといってもいいかもしれない。それがある時期を境に、西洋的な書体観が流入してきて、今日までつながる描き文字観が新たに形成されてくるんですが、その変革がいつ、どのように行われたのかという問題にとても興味があるんです。
 1912年、大正元年に稲場小千(しょうせん)(本名=こういち)という人が『実用図案装飾文字』(興文社)という描き文字集を発表しています。カタカナ37種、ひらがな20種など、仮名を中心とした描き文字集です。しかもその描き文字が長体、平体、斜体など、当時の金属活字とは異なる方向を模索しているんです[★図3]
 なぜ彼がこんなことに取り組んだのか……、同書の序文を紹介しておきます。
     
  装飾用の文字として、殆ど遺憾なく研究されてゐる漢字羅馬字は別として、我国固有の片仮名平仮名が、装飾的に用ひられたものを見ると、其(その)形態の俗悪なと云はうより、寧(むし)ろ此方面に於ては、殆ど顧みられずに過ぎて来たと云つた方がよい位でせう。果して仮名は装飾用の文字にはならないであらうか、不図(ふと)かう考へたのが、此(この)試みの動機で、私は先ず仮名に手をつけて見ました。或は立たせ、或は屈(かが)ませて、其恰向(かっこう)を眺めると其の持つてゐる直線と曲線とは、種々様々な姿と振りとを見せて、存外面白い形をなす様に思はれます。
     
    平野● このあたりが源流?
川畑▲ この本のことは府川充男さんから教えてもらったんですが、確認できたなかではもっとも古い描き文字集ですね。
平野● 源流にしてはなかなかこなれているね。
川畑▲ たしかに。きっとこれ以前から、いろんな人たちが広告などで実験をしていたと思いますよ。ただ、ひらがなやカタカナをフルセットで描こうという発想はなかったんじゃないかな?
     
★図3-1…稲葉小千『実用図案装飾文字』(興文社、1912年)より  
     
★図3-2…稲葉小千『実用図案装飾文字』(興文社、1912年)より
 
     
★図3-3…稲葉小千『実用図案装飾文字』(興文社、1912年)より
 
     
★図3-4…稲葉小千『実用図案装飾文字』(興文社、1912年)より  
     
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