★図29…上から「築地体初号仮名」「築地体三十五ポイント仮名」「築地体一号太仮名」「築地体三号太仮名」「築地体三号細仮名」「江川活版三号行書仮名」『日本の活字書体名作精選』大日本スクリーン製造より。この他にも「築地体前期五号仮名」「築地体後期五号仮名」「築地活文舎五号仮名」がある。詳細は「書体の覆刻」『タイポグラフィの世界 書体編』参照。
  川畑▲ タイポグラファーの主張のひとつに、組版は無色透明なのか、というのがありますよね。
小宮山■ 昔からいわれてますね。
川畑▲ つまり、組まれた文字には、それぞれ固有の色や形があるという主張ですよね。だけど、これまでの話の流れだと、組版の元となる書体の設計者は個性よりも汎用性を重視しているのに対して、組む側は汎用性よりも個性を主張する。それなら、書体設計者の側も最初から純然とした個性を求めてもいいのでは?
小宮山■ 実際に組みあげられた文字群が無色透明ということありえない。「無色透明」とはただ意識されないという比喩で、没個性的という意味ではありませんね。書体デザインでは、漢字のデザインにはエレメントのつくり方に制約があって、大きく変更することができないため、個性重視よりも汎用性重視という意味合いが強くなります。
 しかし、日本語文章の字種使用頻度で50パーセントをはるかに超えるのが“ひらがな”です。これを変えるだけで、組版から受ける印象はおおきく様変わりします。近年、各社から盛んに覆刻仮名がリリースされるようになったのは、組版の印象をなんとか変えたいという強い欲求の現れだと思います。ぼくが手がけた大日本スクリーン製造の『日本の活字書体名作精選』は築地体7書体、その他2書体の計9書体で、いずれもとびっきり個性的な仮名書体[★図29]です。日本近代活字の摸索期から爛熟期につくられた仮名書体の名作たちですが、これらは残念ながら現在のデザイナーには描けない。毛筆手書きが活きていた時代に、個々の字形の特徴を活かしながら、同じ大きさのなかに収めていくという相反するふたつの作為をみごとに融合させたものですから、書の世界から遠ざかり、慣例にどっぷり浸かってしまった現代のデザイナーには、もはや発想すら困難な代物だと思います。
 覆刻を手がけて気がついたのですが、運筆が自然で、筆で書いた際の勢いを無理に押し込めたような堅苦しさがないんです。手で描くことの大切さを再確認させられました。まさに書体創作の原点ですね。
 この種のあまり見たことのない個性的な仮名書体を使えば、本文組みも個性的・独創的になります。ただ、前にいったように、大半の人々は書体の個性には見向きもしませんから、与えられたものとして素直に読んでしまうだけ。その集合体である組版の個性を云々するのは、書体に興味と意識を持った一握りのタイポグラファーやデザイナーだけでしょう。でもそのタイポグラファーやデザイナーでさえ、やがてそれらに飽きてしまい、見向きもしなくなるのは明らかで、なんだか寂しいといえば寂しい。
平野● ぼくの描き文字の場合、そんなに感情移入しなくたっていいじゃないかといわれるんですよ。文章自体に書き手の感情が込められているわけだから、そこにお前の感情なんかよけいなものを盛り込むなといわれますよね。
小宮山■ それはいうでしょうね。きっと本文用書体の設計者はみんなそう指摘するでしょうね。
平野● それがおかしいの。ぼくにとってはおもしろいというのかね。極論すれば、デザイナーの存在意義みたいのがまったくないなあ。それ以上のことを読み取って、さらに批評を加えてマンガのようにしてやるぞという意気込みがないとね。
小宮山■ デザイナーやタイポグラファーの存在意義って、どうやったら気持ちよく読んでもらえるかなっていうのが前提にあって、一所懸命組んで“きれい”なものをつくったとしても、誰も評価してくれませんよね。本文組みを見ても、ワーこれはうまいと褒めてくれる世界ではない。それでもやる、儲からなくてもやるというのは、デザイナーやタイポグラファーの良心かな。
川畑▲ ただ、デザイナーの思う“きれい”が、読みやすいとは思えないんですが。
小宮山■ お言葉を返すようですが、デザイナーが組んで“きれい”でないというのは、たぶん組みの普遍的な美しさやよさというのを知らないだけなんじゃないですか。普通は、こういうのをつくりたいなと思ったらアンテナを拡げていて、いいか悪いかわかるじゃない!
川畑▲ だけど“普遍的”は客観で、“きれい”や“読みやすい”は主観なわけで。つまり、だれにとって“きれい”“読みやすい”かという話は、主観に依存した問題になってしまう。そんなあいまいな定規を振り回しても、しょうがない気もするけど。
小宮山■ そのへんが難しいところだと思いますが……。それでも、デザイナーにしろタイポグラファーにしろ、読みやすさとはなにかをもっと追求していかなければならない。主観を客観に育んでいく努力は不可欠なんじゃないでしょうか。
 
     
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