川畑▲ ここまで1920年代後半を代表する描き文字集をみながら、描き手の特徴や発想、問題点、そして東京と大阪の異なりをみてきました。ある程度、その違いがみえてきたと思います。
 ここからは書体開発派の雄、矢島周一の『図案文字大観』[★図23]以降の活動にスポットをあてたいと思います。
 『図案文字大観』の刊行後、矢島周一は新たな実験をはじめます。文字の幾何学化です。
 まず1928年に刊行された『図案文字の解剖』からみていきます。内容はひらがなやカタカナをコンパスで描けないかという、野心的な実験が中心です。こうした実験と取り組んだ理由について、矢島は序文にこう著わしています。

   
吾等の世界は数理の世界である。数理的に総べてが出来上って居る。試みに自由に描いた美しい曲線は、円弧と直線とに殆んど分解することが出来る。/本書はこの方法に誘惑されて図案文字を解剖したもので、数理的に図案文字を造り上げたのではない。即ちあの美しい線を数理の鏡に覗かせて試たものである。そして専門家の喜ばれる高次曲線を避けて、出来得る限り単純な曲線を操って、専門家は勿論、でなくとも理解のある人であれば共鳴さるべき極めて簡単に表したのである。
     
     同書で矢島は、画家アルブレヒト・デューラー(1471〜1528)の名を挙げています。アルファベットを数理的に分析したデューラーの『測定論(コンパスと定規による測定論)』(1525年)を、仮名で展開してみようというところでしょうか。
 直接的な動機がデューラーだとすれば、間接的な問題としては時代背景があると思います。彼がこの課題と取り組んだ1920年代後半は、幾何学的なもの数学的なものに対して非常に近代的な精神を感じた時代で、新しいイズムとして単化主義がもてはやされた時代です。その時代の流れに、敏感に呼応したといえます。
平野● 単純化といっても、こんなに中心点がいっぱいあるんじゃ単純とはいえないよね。第一、全体の統一がとれていないとね。
川畑▲ 単純化という発想自体に無理がある、単純化できないところに、仮名の本質があるということでしょうか?
平野● うん。どうせ実験なら、すべて円のなかに描けぐらいのことをいわなきゃ。
     
★図23-1…矢島周一『図案文字の解剖大観』(彰文館書店、1928年)より  
     
★図23-2…矢島周一『図案文字の解剖大観』
(彰文館書店、1928年)より
 
     
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