川畑▲ 描き文字の歴史を考えるとき、どこからはじめるのかが問題になります。江戸まで遡るか、もっと遡るのか……という話が当然でてくるんですけど、先ほどの「書く/描く」の問題――書との異なり――を前提に考えると、明治期のそれは書き文字ですから、ここではそれ以上遡らないことにします。ただ、ここでは明治の書き文字事情を確認する意味で、一世を風靡した書風―寳丹(ほうたん)と石たい流の二例を紹介しておきます[★図1・2]
 まず寳丹とは、明治4年に官許第1号公認薬となった「守田寳丹」(1862年発売、現・守田治兵衛商店)からきたものなんですが、それを売り出した9代目守田治兵衛(1841〜1912)がなかなか時代を先取りした人で、広告宣伝にすごく力を入れた人なんです。その9代目が書いた「寳丹」の書が広告に使われたんですが、ユーモラスで、味があって評判になったんです。
 もうひとつの石たい流というのは、書家で漢詩人の永坂石たい氏(1845〜1924/本名=周二)が手がけた書風のことです。こちらは1890年に発売された「花王石鹸」の商標に使われて注目され(1931年2月まで使用)、その後、博文館の出版物などでも使用された書風です。石たい流への評価は高く、1930年代の描き文字集でも紹介されています。
     
☆註1…加藤紅太郎『最も新しい広告意匠文字集』誠光堂、1932年。 長坂石たい氏の支那趣味の書風が、近代人の嗜好に投じ、その始め花王石鹸本舗の長瀬商店及博文館の出版物に使用し始めてより、書放(かきはな)しの文字としては比較的、遠距離よりも識別し得る肉太にして、簡素洒脱の雅味ある書体遙かに六朝風より通俗なりし為頓(とみ)に各方面に賞揚せられ、近代の流行書体となつた次第である。確に明治、大正、にかけての産物として、後世に伝はる書体であらう[☆註1]
     
     どちらも広告や商標に用いられた書風が、流行したというところです。
平野● 寳丹って、まだ上野にあるよね。
川畑▲ はい、いまでも胃腸薬として販売されてますね。
小宮山■ 花王石鹸の石たい流、これは隷書だよね。寳丹は隷書のような篆書のような……隷書に近いつくりだと思うけど、書でいう上品さ下品さでいえば、かなり下品ですね、寳丹のほうが。
平野● その下品さが逆にアイキャッチャーになったわけじゃない。書道じゃないからね。
小宮山■ 書家が書いた例というのは、戦後もたくさんあるんですか?
平野● あったでしょうねえ。ぼくはそのへん、全然くわしくないけど。むしろ気になるのは今の書だよね、ここ10年ぐらい。“日本”というのを強調しようとして書を使った商品ってすごく多いでしょ。
川畑▲ いつの時代も、ものすごく多いんじゃないでしょうか。マスプロダクションのなかで、和のテイストを求める分野――たとえば日本酒や和菓子の世界では、書のほうがメインですよね。出版の分野でも文人趣味みたいな流れがありますよね。『武者小路実篤全集』(全25巻、新潮社、1954〜57年)では、実篤の書や画を原色版で挿入するのがひとつの呼び物になっているし……、あと原弘さんが手がけた豪華本の装幀でも題字に書を使ったものはたくさんありますよね。
 ただ、ここで紹介したかったのは、あくまで明治の書き文字事情なんです。というのも、これから見ていただく大正元年に刊行された描き文字集との違いを、明確にしたかったからなんです。すごく実験的なんですよ、この描き文字集が!
 さきほどマウスに持ち替えたときの話がでましたが、筆からペンに持ち替えたときにも、同じような変革があって、完全に「書く」から「描く」へと移行したという印象ですね。
     
★図1…寳丹の雑誌広告(『風俗画報』1908年)。

★図2…花王・鹿印・二八水広告(『花王石鹸70年史』花王石鹸、1960年)
 
     
    1234567891011121314151617181920