★図18-4…矢嶋週一『図案文字大観』(彰文館書店、1926年)より  
     
★図18-5…矢嶋週一『図案文字大観』(彰文館書店、1926年)より  
     
☆註9…書体制作の現場への社外デザイナーの参入 デザイナーが印刷・表示用書体の世界に参入することができたのは、1969年に写研が販売し、女性誌『アンアン』『ノンノ』で使用されてブームとなった、グループ・タイポ制作の「タイポス」と、翌年の第1回石井賞タイプフェイス・コンテストで第一位になった中村征宏氏の斬新な丸ゴシック(1972年に「ナール」と命名されて発売)によるところが大きい。経済成長にのって躍進するデザイン業界には、既成の書体にはない新鮮なイメージの書体を求める気運が高まっていたが、各メーカーの社内から生み出されるデザインには限界があった。このため外部デザイナーの新しい着想に頼ったというのが実情であろう。また原字の制作もかつての原寸彫刻から拡大原字描きへと移り変わっており、職人気質がものをいう体制ではなくなっていたことも大きな要因として挙げられる。   小宮山■ たぶんこういう書体をたくさん描いたとしても、この人が活字書体に参入することは不可能ですね、まずありえない。活字メーカー各社はどこも社内の種字彫刻師が活字開発を担っていましたから。だから原寸種字を彫れない人間に開発を依頼することはありえない[☆註9・★図19]。それに図案文字は活字化することが第一目的ではなくて、原寸で一点制作するものというのが、当時の一般常識だったのではないでしょうか。
川畑▲ ということは、なにを目指していたんだろう?
平野● ほとんど悔し紛れ(笑)。
 ただね、ここまでできない人は、こういう行為には意味がない。言葉には意味があるのだからその言葉のかたちに従う方がいい、書体開発みたいに一字一字描く必要はないっていうけど、それはできないからであってさ。まあ老後の楽しみとしてはおもしろいと思うよ。
小宮山■ これはいってみれば書体サンプル集ですよね。必要に応じてここから抜けということですよね。
川畑▲ あくまでひとつの見本だったんじゃないんですか? このまま拡大して使えるかといえば、やはりむずかしいんじゃないかな。
平野● フィニッシュがよくないというけど、けっこうなもんですよ。ずいぶんマネしたり、トレースしたりしたね。ぼくはこの3段目を使って描いたことがあるよ。映画のタイトルを40本、50本描いたの。
小宮山■ うまく並びますか。
平野● わりあいうまく並びましたね。詰めたりはしますけど。使えるのはこの3段目と5段目だけだけどね。
     
★図19…写真植字機研究所主催、第1回石井賞創作タイプフェイスコンテスト第1位中村征宏氏の作品(1970年)  
     
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