☆註12…古田立次「文字図案法」、『平面図案法』図案
新技法講座三、アトリエ社、1932年。傍点は引用者。
 

川畑▲ ここでデジタル環境での描き文字の問題について整理しておきたいと思います。冒頭で、小宮山さんから「描き文字はディスプレイ・フォントでは?」という意見がでました。たしかに矢島周一の『図案文字大観』を念頭に考えると、そうした面を否定できません。しかし、それだけでもないような気がします。
1932年、古田立次はこう主張しています。

   
図案家のものする文字――所謂図案文字なるものは一律のストツクであつてはならぬ。各使用の目的に応じ、動かざる適応を求め、且又(かつまた)文字の使命を阻害せざる限り、無限の進展性ある芸術的処理の下に詩趣味豊かなるものとなし、以てその目的に対する効力の発揮に万全を期すべきものであらねばならぬ。[☆註12]
   
   きわめて理にかなった主張だと思います。「一律のストック」をフォント化と捉えれば、フォント化された描き文字、つまり小宮山さんのいわれるディスプレイ・フォントでは、描き文字の本来の目的――古田立次が指摘する「動かざる適応」から離れていってしまうということになります。
 ただ、それだけでもない。現行のデジタル・フォントの制作過程で、規範となる原図の大半は、いまだに手で描かれています。それが読み込まれ、デジタルでバリエーションが展開され、最終的にデジタル・フォントとして完成されるんですが、出発点はやはり文字を描くという行為です。冒頭でボクが「どちらが本筋なの」と挑発した理由はここにあります。デジタル環境下のタイポグラフィといえども、“文字を描く”という出発点を抜きには成立しないからです。
 この問題は、さきほど見ていただいたロゴタイプ派の藤原太一と書体開発派の矢島周一の方向性の違いに象徴されています。つまり言葉の持っている力を最大限に引きだした描き文字をめざすのか、書体のもととなる原図のように汎用性の高い描き文字をめざすのか、ということです。
平野● ぼくはどちらかというとロゴタイプ派でしょうね。5文字でも3文字でも1文字でも、その文字が代表する内容みたいなものがあるよね。ぼくの場合は装幀が中心だから、頁を開くと細かく書かれたものがあって、そこに本体があるわけだから、それをある程度読み込むわけ。その印象、ないしは著者のひととなりみたいなものが、文字に反映するわけよ。そうするとやはりロゴタイプになるわけだ。
 エレメントはこれだけで、おれはこのスタイルで行くんだといって、いつもステンシルみたいな文字ばかりで描くわけにはいかないね。
川畑▲ という平野さんの意見に対して、小宮山さんのお考えは?
小宮山■ 書体デザインとなると、極力個性を拡散して普遍化させていく方向に向かざるを得ませんね。ロゴタイプというのは一対一の関係ですから、すごく個性的なものができる。だけど書体設計の場合は、誰がどう使うかわからないので、できるだけ個性を感じさせない方向にもっていきます。
川畑▲ 個性よりも汎用性が上回ってこなければならないということですね。すると、小宮山さんがいわれるレタリングは、平野さんがいわれる描き文字とは本質的に異なりますよね。
小宮山■ 前にもいったように、レタリングという言葉を使って書体デザインを表現したことは、日本では一度もないんじゃないかな。レタリングというのは、これまでマークをつくったり、タイトルをつくったり、ロゴタイプをつくったりする際に用いられていて、書体設計とかフォント・デザインの現場では、レタリングという言葉はこれまで使われてこなかった。
平野● ちょっと断らなくてはいけないのは、ロゴタイプ派といっても、たとえば『芸術新潮』という雑誌タイトル[★図27]は、冬でも夏でもどんなときでも使われますよね。多分ぼくが描いたら、夏なら夏の芸術新潮、冬なら冬の芸術新潮になると思うんだよ。完全なロゴタイプではない。社会情勢とか、そのときの気温や湿度に影響を受ける。
川畑▲ うわーっ、清水音羽の季節の書体みたい(笑)。小宮山さんの御著書『レタリング』のなかのレタリングというのは、あくまで書体デザインという側面だけ?
小宮山■ レタリングの技法というのはロゴタイプの方にも使えるし、書体デザインの方でも使える。両方にまたがるものですが、ぼくは書体デザインを支えるものという側面から書きました。
平野● やはり汎用性を重視されますか?
小宮山■ どうしてもそうなりますね。マッキントッシュの欧文フォントにヘルマン・ツァップが手がけたカリグラフィー調の書体「Zapfino」があります。ほかにモリサワがだした版画風の写植書体「キダかな」。どちらも実際に組版すると、もとの手書きの良さや味が希薄になってくる。ロゴタイプもそうですが、書体デザインの場合も目的を持って、どういう場面で使われるのかをある程度、最初に設定してつくりますね。基本は、最初から太さも形も全部設定していくやり方で、想定した使用目的というか、シーンというか、それをはずさないように注意してつくっています。前提もなく、ただおもしろそうだからつくりましたというのは、デザインではないように思います。
 ただ、こっちが想定していなかった使われ方で、けっこうおもしろい場合もありますけど。
川畑▲ 同じ描かれた文字でも、平野さんと小宮山さんとでは、描き手としての立場がいかに違うかが具体的にみえてきました。
   
     
図27…新潮社の月刊誌『芸術新潮』の誌名ロゴタイプのスケッチと修整過程の一部。それまで使用していた「ゴシック」体のロゴタイプを、2004年1月号から新しいロゴタイプに変更した。制作・小宮山博史。  
     
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