タイポグラフィの世界  
   
 
 
小宮山博史
 
 
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    ここで使っている「細仮名」という正式名称はありません。もちろん「太仮名」という名称もなく、この分類は私達の「印刷史研究会」が仮に使っているものです。この三号太仮名は、東京築地活版製造所が明治45(1912)年2月に発行した『改正三号明朝活字書体見本 全』に収録されている見本から覆刻してあります(図6-1)。この仮名がいつできたかはわかりませんが、上海から導入した三号活字は分合活字(連載第1回をご覧ください)ですので、その使い勝手の悪さからかなり早い時期に改刻がすすめられていました。また改刻と同時に中国には無く日本では必要不可欠な仮名書体も開発がすすめられていたはずです。手元には明治10年代の三号活字を使った印刷物がありませんので、この細仮名がいつから使われはじめたかはわかりませんが、かなり早い時期に開発されたと思われます。
 明治24(1891)年2月刊『印刷雑誌』第1巻第1号の末尾に築地活版の広告が差し込まれていますが、その広告本文は三号漢字仮名交り文でここに使われている平仮名は今回覆刻した細仮名と同じ字形です(図6-2)。この細仮名が漢字にたいするメインの書体です。もちろん明治36年刊の『活版見本』でも漢字仮名交り組み見本に使われていますが、興味深いのは三号楷書仮名交じり書体見本の両仮名はこの細仮名なのです。冷静に考えれば、現在通用している明朝体仮名の姿形は正確には楷書体のスタイルを維持しているといって良い。しかしこの三号細仮名ほど楷書体漢字に合う字形は現在まで作られたことはありません。
 これははっきりとした理由はなくあくまで想像なのですが、この三号細仮名を彫刻したのは築地活版の名人彫り師といわれた竹口芳五郎(たけぐちよしごろう)ではないでしょうか。『印刷雑誌』第1巻第6号(7月号)の19頁に築地活版の美しい楷書体漢字と連綿体仮名の見本が載っていますが、そこには「活字種版師竹口芳五郎」と明記されています(図7)。活字種字の彫り師の名前が明記されることは前代未聞の出来事ですが、明記されるに足りる特に優れた技術の持ち主として公知のことであったのかもしれません。『本邦活版開拓者の苦心』(津田伊三郎編。津田三省堂、昭和9年)には竹口芳五郎の簡単な伝記が収録されていますが、それによれば築地活版に明治5年入社し、明治41年8月急逝するまで築地書体の開発、改良に従事したということです。その実働期間は築地活版の黎明期から爛熟期に相当します。築地活版の種字彫り師は竹口芳五郎から竹口正太郎(たけぐちしょうたろう)へ、そして安藤末松(あんどうすえまつ)と続いて会社そのものが終息します。種字彫り師のお話しは回を改めて書く予定ですのでご期待ください。
 この三号細仮名は、文字の大小と字形は書き手に左右される毛筆手書きが一般生活の基本であった時代でありながら、人々が読む新聞、書籍は正方形の中にほぼ均等な大きさを追求しはじめた活字書体であり、そのギャップの中で揺れ動く人々にも充分に理解が得られる書体であったように思えてなりません。流麗ともいえる運筆、人々が受け入れやすい文字固有の大きさと字形、それを活字書体という制約の中で生かしていくのは困難な作業であったと思われますが、じつに美しくまとめています。このような造形は現在のタイプデザイナーには作れないものです。
  三号細仮名の字形は、一号にも見られますが、四号、五号という小さいサイズにはありません。ということははじめから人々の目につく見出し用書体を念頭において制作されたもので、目的によって制作方針を差別化していることがわかります。
 漢字と仮名を同じウエイトに見えるように現在の書体は作られていますが、べつにそれにこだわることなく漢字は太く仮名は細くしても新鮮な文字組みが表現できるのではないでしょうか。字間行間の設定でも印象は大きく変わります。この書体がどのように使われるかとても楽しみです。

   

『印刷史研究会』


図6-1











図6-2












図7
           
   

築地体初号仮名PDF: 604KB)
築地体三十五ポイント仮名PDF: 960KB)
築地体一号太仮名PDF: 756KB)
築地体三号細仮名PDF: 720KB)
築地体三号太仮名PDF: 288KB)
築地体前期五号仮名PDF: 1.4MB)
築地体後期五号仮名PDF: 1.3MB)
築地活文舎五号仮名PDF: 388KB)
江川活版三号行書仮名PDF: 1.3MB)

     
           
    ■これまでの連載
→第1回 上海から明朝体活字がやってきた
→第2回 四角のなかに押し込めること
→第3回 ゴマンとある漢字
→第4回 長嶋茂雄の背番号は3 では「王」の背番号は