タイポグラフィの世界  
   
 
 
小宮山博史
 
 
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    私たちが最初に漢字を習うのは小学校の国語の授業です。小学校学習指導要領の国語には学年別漢字配当表があり、第一学年80字、第二学年160字、第三学年200字、第四学年200字、第五学年185字、第六学年181字と各学年で学ぶ漢字が掲げられています。総計で1,006字が小学校で習う漢字の数です。
 たくさんあることを「ゴマンとある」といいますが、「五万」と書くのでしょうか。日本を代表する漢和辞典である諸橋轍次さんの『大漢和辞典』の見出し字の数はほぼ5万字ですから、「ゴマンとある」にぴったりです。ここから出た言葉だとは思いませんが、この数にはため息が出ますね。いったい漢字は何字あるのでしょうか。ご存知の方がいらっしゃれば是非教えていただきたいと思いますが、きっと「何字だ」ということはできないのではないでしょうか。それは閉ざされた体系であるラテンアルファベットと違って、開かれた体系である漢字はどんどん増えているのが実情だからです。

   






大漢和辞典
  一応の目安を示した最初のものが、昭和21(1946)年11月16日の内閣告示・同訓令で公布された「当用漢字表」でしょう。これは昭和17年6月の「標準漢字表」の常用漢字1,134字を基本として加除をおこない1,295字の新漢字表(常用漢字表案です)をまとめたのですが、どうも日常使うには少ないしまた児童が習うには多すぎるということで決まりませんでした。そこでこの案に各分野で必要な漢字を加えた1,850字としたものを「当用漢字表」としました。「まえがき」の第1項ではこの表は「法令・公用文書・新聞・雑誌および一般社会で、使用する漢字の範囲を示したもの」であり、〔使用上の注意事項〕の第1項には「この表の漢字で書きあらわせないことばは、別のことばにかえるか、または、かな書きにする」とありますので、けっこうきつい規制がかかっていることがわかります。
 「当用」とは「日常生活上さしあたって必要なもの」「当座のもの」という意味で使われたようです。
 ここに示された漢字を明朝体・ゴシック体に適用するとき厳しい字体の制限がつきました。「当用漢字字体表」図1)がこれです。ほんとうは字体はもっと緩くあるべきでがんじがらめにするのはいいことではありません。字体で迷う場合、自分で調べ、自分で判断してデザインすべきなのですが、どうも私も含めて権威に恐れ入るというか、信用してしまう傾向がありますね。猿に負けないぞ。反省!
 つづいて昭和56(1981)年1,945字の「常用漢字表」が作成されました。当座というにはずいぶん時間がかかったと思いますが、当用漢字表公布から35年目のことでした。同年3月の国語審議会答申の前文にある〔常用漢字表の性格〕には次のように書かれています。すこし引用してみましょう。

 「常用漢字表は、法令・公用文書・新聞・雑誌・放送等、一般の社会生活で用いる場合の、効率的で共通性の高い漢字を収め、分かりやすく通じやすい文章を書き表すための漢字使用の目安となることを目指した。
 常用漢字表は、現代の一般の社会生活で用いるものであって、科学・技術・芸術等の各種専門分野や個々人の漢字使用にまで立ち入ろうとするものではなく、従来の文献などに用いられている漢字を否定しようとするものでもない。また、地名・人名などの固有名詞の用いられる漢字を対象とするものではない。
 なお、ここに言う一般の社会生活における漢字使用とは、義務教育における学習を終えた後、ある程度実社会や学校での生活を経た人々を対象として考えたものである。
 常用漢字表は、上述のように一般の社会生活における漢字使用の目安となることを目指すものであるから、表に掲げられた漢字だけを用いて文章を書かなければならないという制限的なものではなく、運用に当たって、個々の事情に応じて適切な考慮を加える余地のあるものである。
(中略)しかし、一般の社会生活において、相互の伝達や理解を円滑にするためには、できるだけこの表に従った漢字使用が期待される」

 いかがです。当用漢字表の厳しい制約はずっと後退したことがわかります。あくまで「目安」で、この言葉を2回も使っていますし、漢字使用の制限ではなく「期待」と言っています。この文章の下に「注」があり、表を無視して漢字を好き勝手に使ってよいというのではなく、努力目標として尊重しましょう。この表をもとに独自の漢字使用の取り決めを作ったらいかがでしょうかと書いてあります。
 私個人は文章を書くとき、できるだけ漢字の使用を少なくしたいという思いがあります。でも第1回、第2回そしてこの回も漢字の使用が多いかもしれません。では常用漢字1,945字はどのくらいの頻度で使われているのでしょうか。
 ちょっと面白い調査報告書があります。凸版印刷と読売新聞での『漢字出現頻度数調査(2)』なのですが、この調査の本来の目的は、書籍で使われている表外漢字(常用漢字以外の漢字)の字種と字体の確認、そして常用漢字字体に準じた略字体が表外漢字にどの程度影響を与えているかの確認という字体調査なのですが、私が興味を持ったのは報告書にある使用頻度表です。

   















当用漢字字体表
図1
  ここでは第一部の「辞典類、単行本、月刊誌、古典類」を見てみましょう。使用した書籍の合計は385冊で、漢字総数は33,301,943字という膨大さですが、文字種は8,474字にすぎません(第二部は月刊誌4誌48冊での調査で、漢字総数は3,541,120字)。
 ちなみに使用頻度第1位は「一」、第8,474位は「邉」で、私の好きな「飲」「酒」はそれぞれ531位、688位にランクされています。
 常用漢字1,945字のほとんどは頻度順位3,000位以内に入り、3,000位以降に出現する常用漢字は14字にすぎません。第1位から常用漢字が続き、JIS第1水準の漢字が最初に出現するのは第554位の「岡」、第2水準の漢字は「籠」の1,331位が最初です。
 第1位の「一」から第3,000位の「〓」までの漢字で、日本語の文章に出現する漢字の99.553%を占めます。ということは残り0.447%をカバーするために5,474字の漢字が必要になるのです。文章を99.9%をカバーするには第4,217位の「晁」までが必要で、残り0.1%のために4,257字を用意しなければならないことになります。この使用頻度調査の文字数が8,474字ですからほぼ半分に相当する漢字がこの0.1%用なのです。話がちょっとそれますが、第1,000位の「伏」までで88.435%、第2,000位の「某」までで97.904%を組むことができます。
※〓は「祁」の偏が「示」。
   







凸版印刷調査で使用頻度3,000位以降に出現する常用漢字14字は「劾・惰・謄・虞・謁・厘・朕・憾・銑・逓・迭・璽・勺・頒」。「劾」は第3060位、「頒」は第4,272位である。3,000位以内の最後の漢字は「倹」で第2,927位。

JIS第1水準の漢字
  調査期間は平成11年7月1日から8月31日で、東京本社と中部本社の最終朝刊と夕刊紙面でテレビ・ラジオ・広告面は除いています。出現した総字種は4,546字で凸版印刷調査の字種にくらべて約4,000字も少ないのは、できるだけ漢字数を抑えて記事を書いているからでしょう。第1位は「日」で、第4,546位は「齣」です。第1,000位の「滝」までで93.361403%を、第2,000位「峯」までで99.586432%、第3,000位「冑」までで99.956717%をカバーしています。99.9%をカバーするには第2,604位の「址」でよいのですから、凸版印刷の調査書籍と新聞ではずいぶん違うことがわかります。残り0.1%のために用意されている漢字は凸版印刷調査の約半分の1,960字です。
 必要漢字数の算出は活字書体をデザインするときにどうしても必要になります。現在はJISに準拠して漢字セットを構成するか、Adobe-Japan1-5に倣うかどちらかだと思いますが、こういう規範となりうるものがなかった時代はどうしていたのでしょうか。何に準拠していたのかぜひ知りたいところです。
  私は書体デザインをリョービ印刷機販売株式会社(現リョービイマジクス株式会社)のチーフデザイナーであった島野猛さんに教わり、写植書体のデザインもさせていただきましたが、そのときの写植文字盤の漢字数はメインプレート一級698字、二級2,250字、サブプレート三級1,426字の合計4,374字でした。凸版印刷の使用頻度調査とは字種は違いますが字種数だけでみれば使用漢字の99.9%は組むことができますし、ときに写植文字盤に無い字が出たとしても写植のオペレータは偏と旁あるいは冠と脚を切り貼りして作字して間に合わせていましたので、印刷物に使う普通の文章を組むのであればこの字種数でべつに問題はなかったのでしょう。

   













Adobe-Japan1-5




1972年印刷「リョービ写真植字機文字配列表」では、メインプレートには漢字一級698字、二級2,250字、ひらがなカタカナ150字、促音49字、欧文52字、約物108字、和数字11字、洋数字30字で3,348字。サブプレート漢字三級1,426字。総数4,774字。
  ちょっと調べてみました。現在では金属活字で印刷を行っているところは数えるほどしかありませんが、そのなかでもっとも元気よく稼働している印刷会社として長野市の蔦友印刷をあげることができます。この会社の所有活字母型一覧である『活字綜緝』(1994年改訂版)では、本文用として8ポイント17,321字、9ポイント16,168字、10ポイント17,201字を用意してあります。この3サイズが飛び抜けて多く、あとは多くても4,000字どまりですので、これは特殊な例だと思います。印刷会社の保有字種はなかなかわかりませんが(印刷会社はべつに自分のところの字種数を数えません)、活字鋳造と販売を行う会社が出す総数見本帳がほぼ必要な字種数を示していると考えてもよいかもしれません。
 文化庁から出た『明朝体活字字形一覧―1820年〜1946年』は23種類の総数見本帳に掲載されている漢字を、ほぼ時代順に、同一字種を一行にならべて字形の異同が一目で分かるようにしたものですが(図2)、ここに使われた総数見本帳の字数は最大で10,708字(四号明朝、1914年)、最少は初号(角寸法14.76ミリ)の2,411字です。本文用として使われる五号は3種類ありますが、それぞれ8,824字、9,368字、9,687字となっています。おおざっぱにいえば、金属活字時代では一般的な必要字種数は9,000字から10,000字で、大きいサイズの活字では3,000字から6,000字の間というところでしょうか。

   














図2
  私が知っているのはわずかに二例にすぎませんが、ここでは日本の漢字活字数に大きく影響を与えたと思われるウイリアム・ギャンブルが行った調査を見てみましょう。ギャンブルはこの連載の第1回目に登場した北米長老教会印刷所の印刷責任者です。北米長老会印刷所は1844年1月(公式記録のひとつは2月としています)23日「華英校書房」という名前でマカオで開設されました。翌45年7月19日寧波に移り「華花聖経書房」と名前を変えます。ギャンブルは1858年10月印刷所の責任者としてここに赴任しました。彼を宣教師とする説もありますが、宣教師ではなく印刷技術者が正しい。赴任早々、彼は二人の中国人学者をそれぞれ2年間雇い、漢字使用頻度調査を始めます。
 ギャンブルは言います。

 「中国で金属活字が使われるようになってからまだ日も浅く、この特殊な言語が一般的な文献に使用される字種の使用頻度調査はほとんどされていない」
 「以前からある活字の配列をある程度改良し、康熙字典に含まれる40,919字のうち何字が通常使われるのか、とりわけ伝道にたずさわる人々が使用、発行した著作物に使用されているかをつきとめる目的で、我々の印刷した聖書と他の27冊の出版物を含む、合計約130万字におよぶ八ッ折判4,166頁の調査を行った」
 「第一のリストには、上記の書籍で使用されている文字がすべて含まれているが、合計5,150字にすぎない。しかし、これらの文字の右に数字で示してある使用頻度数を合計すると1,166,335字になり、前段落の記述と一致する。さまざまな理由から、ロンドン伝道会のフォントリストに含まれている約850字が追加されたが、それらの850字は調査対象になった書籍には使われていないので、5,150字のリストには入っていない」
 「したがって、我々のリストの文字数は6,000まで増加した」(図3

 5万におよぶ漢字の中から印刷に必要な漢字を割り出して鋳造活字を作り、それを文選工が効率よく採字できるような活字ケースへ配置をするということは、少部数しかできない木版印刷や木活字による印刷(家内制手工業といっていい)とは異なって、経済効率を優先し大量生産を目的とする近代的産業としての印刷を目指していることがわかります。しかしギャンブルの調査は宗教書をサンプルとしたことで、一般の書籍にはあまり出現しない漢字が頻度順位の上位にくるという欠点があったために、汎用性という面では問題を残しました。そのような問題もあったからでしょうか一書体の漢字数は後に6,664字にまで増加していきます。
 ギャンブルは明治2(1869)年11月に近代西洋印刷術と活字製法を日本人に教えるため長崎に来ますが、そのとき舶載してきた活字の字種はたぶんこの6,664字程度ではなかったかと私は想像しています。こののち日本の印刷会社・活字メーカーはこの字種をもとにして日本で使う漢字を追加し、あるいは削除しながら漢字セットを作っていったのでしょう。そしてその数は本文用ではほぼ一万字前後で推移してきたように思えてなりません。
    ギャンブルの使用頻度調査の前にロンドン伝道会のサミュエル・ダイアが行ったものがある。内容の異なる14種の書籍をサンプルとして文字種と出現頻度を調べた。出現字種は3,240字で、そのうちの1,200字が頻繁に使われており、数百字は稀にしか使われないことを明らかにした。この調査報告は1834年に『重校幾書作印集字』という書名で刊行された。






康熙字典














図3


















 漢字数はコンピュータ時代にはいってから急激に増加の傾向を見せています。いったい何字必要なのか想像するだけでも頭が痛くなります。もっと少ない漢字数で文章が作れないかといつも思います。キーボードの変換機能を使うとどうしても漢字の使用頻度が多くなるようです。この文章もコンピュータを使って入力していますので漢字が多いかもしれません。ずいぶん前ですが漢字を500字に制限したらどうかという提案がカナモジカイ図4)から出されたことを思い出しました。500字で良いかどうかは別としてできるだけ少ない漢字で文章を綴りたいと思います。『暮しの手帖』の編集長を長く務めた花森安治の言葉であったと思いますが、ひらがなでわかるところはひらがなで、ひらがなでわからないところは漢字を使うというのがありました。これはとても正しいことだと思います。







カナモジカイ
図4
    →PDF版 (1.9 MB)     ●PDF使用書体
本文(ベタ組み)=築地体前期五号仮名+ヒラギノ明朝 Pro W3(漢字)、見出し=築地体三号細仮名+ヒラギノ明朝 Std W4(漢字)
           
   

●参考文献/関連書籍
参考文献
『小学校学習指導要領』大蔵省印刷局、1989年初版
『常用漢字表』大蔵省印刷局、1992年初版
国語施策沿革資料12『漢字字体資料集』(諸案集成2・研究資料)、文化庁文化部国語課、1997年
漢字字体関係参考資料集『明朝体活字字形一覧―1820年〜1946年』文化庁文化部国語課、1999年
漢字字体関係参考資料集『漢字出現頻度数調査(2)』文化庁文化部国語課、2000年
『漢字制限の基本的研究』岡崎常太郎著、松邑三松堂、1938年
文字のデザイン・シリーズ4『カタカナ』佐藤敬之輔著、丸善株式会社、1966年


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