タイポグラフィの世界  
   
 
 
小宮山博史
 
 
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    築地活版を代表する仮名書体です。築地活版が五号仮名をいつこの後期五号仮名に切り替えたのかは調査不足でわかりませんが、たぶん築地活版の種字彫り師の練度が最高潮に達した明治30年代中頃ではないでしょうか。明治36年の『活版見本』の「五号片平仮名書体見本」はすでに後期五号仮名に替わっています(図12)。
 覆刻の資料とした見本帳は、大正2(1913)年3月改正『五号明朝活字総数見(以下不明)』です(図13)。
『活版見本』を見ると、後期五号の「と」の縦画は「点」の形をとり、私達がいま見慣れている縦に作る「と」は使われていません。「お」「え」は「於」「江」の草体(今では変体仮名と呼ばれています)が入っています。「え」の字形は万葉仮名のほうに入っていますが「お」の字形は入っておらず、この時点では「お」の字形は作られていなかったのかもしれません。大正2年の見本帳の「平仮名及び付属物」も草体の「於」と「江」ですが、「万葉仮名」として「お」「え」が入っており、縦画を垂直に作る「と」も入っています。片仮名は水平を指向していた前期五号のデザインをすて、毛筆楷書にのっとった字形にまとめられています。
 後期五号仮名の字形は、手書きの自然な美しさを失うことなく正方形への無理のない定型化がすすんでいます。種字彫り師は、明治5年平野富二に乞われて入社して以来30年、研鑽を積み彫り師として爛熟期を迎えた竹口芳五郎ではないかとひそかに思っています。この書体はこののち多くの印刷所、活字鋳造所によって複製・改刻され日本全土に広がっていきました。その結果本文用仮名は豊かな書体群を構築することができ、変化にとんだタイポグラフィを展開しながら今にいたります。
 ここで改刻とはどの程度の違いをいうのか見てみましょう。書体の改良は読者にはほとんど目につくことがありませんが、注意して見れば、それが「改悪」でなければ印刷面はたしかに以前とは違って明るく、目に余計な刺激がないなと感じるはずです。
 明治初年のことですが、わが国の母型師の草分けで、のちに名人母型師字母吉(じぼきち)と称された小倉吉蔵は最初平野活版で仕事をしていました。
 明治8年母型の製法を学ぶために上海に派遣されましたが、理由はわかりませんが帰国後会社に戻らず、日本各地の活版製造所をまわって技術を伝えたそうです。この後も上海に渡り母型制作の技術を極めたため、母型制作にかんして小倉吉蔵の右に出るものはいなかったといわれています。この名人母型師小倉吉蔵の長男が小倉宗吉で、祖父の名前を受け継いでいます。この字母宗こと小倉宗吉が昭和7年11月発行したパンフレット『名刺と葉書用見本』には「築地形五号平仮名」という名前で後期五号を改刻した平仮名が載っています(図14)。
 後期五号とくらべると、「は」の最後の止めの位置が少し上に上がって軽くなっていることがわかります。改良といってもいいでしょう。「と」は終筆部が短くなっていますが、私は後期五号の「と」のほうが美しいと思います。「た」は脈絡を切っています。「お」は縦画が垂直に近くなっています。後期五号はやや左に倒す作り方ですが、改刻後のほうが動きはありませんが安定感があります。「あ」は縦画と左下へのハライが離れ空きを作っています。後期五号は左下へのハライが縦画から出ていますので、三角形の空間はありません。「ひ」は曲線で囲まれたふところが広くなっています。「せ」も左右の縦画間を広げています。後期五号と字母宗五号を拡大して合わせてみればもっと違いがでると思いますが、ちょっと見ただけでも平仮名清音48字中7字が替わっていることがわかると思います。この7字で見たような些細な変更が改刻の程度です。改刻は新しく種字を新刻するか、既製の活字の表面を目の細かい砥石ですり、少し線 が太くなったところで彫刻刀で線の位置を変えながら細めていくかの、どちらかの方法によります。後者は「サラエ」という技術で、昭和になってから案出されたといわれていますが、もっと早くから使われていたのではないかと想像しています。
 名作の誉れ高い株式会社写研の石井中明朝体(MM-A-OKS)は、後期五号の書風を受け継ぎそれを見事に改刻しています。
 築地活版はこののちこれまでに作った各種優秀書体を超える造形を生み出すことができず、蓄積した財産を食いつぶしつつ昭和13(1938)年解散にいたります。
 後期五号は、日本の活字書体を牽引した東京築地活版製造所が、培った技術と感性を振り絞って生み出し、最後の光芒を放った書体でありました。
   




図12

図13



































図14
           
   

築地体初号仮名PDF: 604KB)
築地体三十五ポイント仮名PDF: 960KB)
築地体一号太仮名PDF: 756KB)
築地体三号細仮名PDF: 720KB)
築地体三号太仮名PDF: 288KB)
築地体前期五号仮名PDF: 1.4MB)
築地体後期五号仮名PDF: 1.3MB)
築地活文舎五号仮名PDF: 388KB)
江川活版三号行書仮名PDF: 1.3MB)

     
           
    ■これまでの連載
→第1回 上海から明朝体活字がやってきた
→第2回 四角のなかに押し込めること
→第3回 ゴマンとある漢字
→第4回 長嶋茂雄の背番号は3 では「王」の背番号は