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明治30年代始め『印刷雑誌』に広告を出していますが、築地活文舎の規模や実態はよくわかりません。この覆刻は『印刷雑誌』第8巻第5号(印刷雑誌社、明治31年6月)に掲載された広告の複写をもとにしています(図15)。 築地体前期五号と同じ書風であることがわかりますが、くらべてみますと細部でだいぶ違いがあります。ですから前期五号の改刻といってよいでしょう。あくまで字形を見た印象ですが、改刻の方針は三つと思われます。一つは(これが大きな特長ですが)前期五号が持つ右上がりの構造を水平に近づけようとしていること、一つは文字の大きさをできるだけ揃えようとしていること、そしてもう一つは曲線は前期五号が持つ鋭さを除き緩やかなカーブにしてあることです。 たとえば「い」を見てみますと、前期五号の左画は左に傾けてありますが活文舎五号はほぼ垂直に見えるようになっています。「ふ」も下辺を見ると右上がりの構造を水平に近づけています。「つ」はふところを絞って上辺のふくらみを抑えて水平を出していることがわかると思います。「ま」では縦画を右に倒しているのを垂直に直し、始筆の横画を水平に作っています。「け」の左画は「く」の字形の軟らかい曲線にして垂直に見せる作り方にし、右側の縦画も始筆から終筆にかけて右に張り出す曲線にし、垂直を感じさせるようになっています。その結果カウンターが広くなり大きさも揃って見えるようになりました。「う」も直立して見えるように作っていることがわかります。「ぬ」の左下の折り返し部分を上にあげて水平に見えるようにしてあります。 「ろ」や「り」「ら」「ち」の終筆部分は前期五号より長く作っているのは文字そのものをはっきりと見せる工夫ですし、また下の空間を引き締める効果もあるのではないでしょうか。 「に」は左画をふっくらとふくらまし、右の「こ」の字形は上下を広げて文字を大きく見せています。「す」も文字の大きさを出すために横画の長さをのばしていますので、大きさをあるていど揃えようとする意志はあったと感じます。ただこの時代は文字固有の大きさにたいするこだわりは現在よりもはるかに強かったはずですから、「め」などは極端に小さく作っていますし、いまのようにすべての文字を同じ大きさに見えるように作ることはできなかったかもしれません。 前期五号と異なるところはまだまだあります。ぜひ比較していただき、改刻というのがいかに細かい部分に手を入れる行為かを知っていただきたいと思います。くり返されるこの細部の修正の成果が、現在の書体にも生かされているのです。 築地活文舎のこの試みが印刷・活字業界に受け入れられたかどうかについては残念ながらわかりません。しかし改刻の方向性は正しく、この数年後に発表される築地体後期五号の制作に何らかの影響を与えた可能性はすてきれないと考えています。 築地活文舎五号を覆刻する上で問題となったのが線の太さをどう解釈するかでした。使用した広告頁は築地活版の見本帳のようにかなり神経を使った印刷物ではなく、その上複写でしたから太さにはばらつきがありました。鋳造された活字は表面にインキを着けてプレスすることで文字が再現されます。プレスの強弱、インキの量、紙質によって活字表面の字形より太まります。この太まった部分をマージナル・ゾーンといいますが、それを太い部分でとらえるか、より細く解釈するかによって字形と線幅は変わってきます。活文舎五号の場合はこのマージナル・ゾーンを強調した形で覆刻してあります。ですから築地体前期五号より太くなっています。金属活字の場合、活字表面に突出している文字はいわば虚像で、印刷されたものが実像になります。実像から虚像を割り出す作業は何回やっても難しく緊張します。 |
図15 | ||||||
築地体初号仮名(PDF: 604KB) |
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■これまでの連載 →第1回 上海から明朝体活字がやってきた →第2回 四角のなかに押し込めること →第3回 ゴマンとある漢字 →第4回 長嶋茂雄の背番号は3 では「王」の背番号は |
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