→PDF版 (756 KB) |
一号は号数制活字として初号につぐ大きさです。株式会社モトヤが昭和42(1967)年に刊行した活字見本帳『活字書体』に掲載している「活字寸法表」では角寸法は9.665ミリですが、これは27.5ポイント相当で、1ポイント0.3514ミリで計算したものです。明治初期の一号は連載第1回に書きましたが、Double Pica 24ポイント相当で、印刷物からの計測では角寸法8.65ミリで現在の一号の寸法とは違います。正確な年代ははっきりしませんが、上海から導入した活字サイズのうち五号、四号、三号をもとにしてその他の活字サイズを倍数関係が合うように直していったのが、今も細々ではありますが使われている号数制サイズです。しかし明治初期の活字についての正確な測定データは無く、それぞれのサイズは残念ながらわかりません。 この築地体一号太仮名は明治36(1903)年11月刊『東京築地活版製造所活版見本』の中の見本から覆刻してあります。同活版見本の「一号片平仮名書体見本」には覆刻した太仮名の他に細い平仮名が掲載されています。漢字仮名交り組み見本は太仮名を使っており堂々とした組版を見せています(図4)。たぶん細仮名が漢字と組み合わせる正規の仮名だと思われますが、漢字にたいして細すぎるため何も指定しなければこの太仮名のほうを使っていたようです。片仮名は活版見本には全文字掲載されていませんので、無い字は築地活版の一号活字を使っている金沢の宝文堂活版製造販売所の『明朝風一号活字摘要録』から覆刻してあります。この宝文堂の見本帳は大正5(1916)年3月の印刷です。 一号活字の制作時期は不明ですが、『かなしんぶん』第1号(かなのくわい、明治18年7月)には築地活版の広告が掲載されていますが、それによると 明朝体活字ハ二号ヨリ六号ニ至マデ全備致シ(略) 壱号七号漢字不足ノ分ハ目下製造中也 とあり、一号は漢字字種が不足しており完品でないことがわかります。一号サイズであれば漢字字種は多くても4,000字程度のはずですが、上海から漢字活字を導入して16年がすぎた明治18(1885)年でもまだ新刻の漢字は揃ってはいないようですが、仮名はあるいはできていたかもしれません。仮名の制作時期は明治18年頃としてもそれほど間違っていないと思います。見本帳を見ますと二号太仮名もこの字形ですので一号太仮名と同じ彫り師によって彫られたことがわかります。ただ字形が洗練されていないところを見ますと、一号より前に作られたものでしょう。 現在までに作られた大型サイズの平仮名でもっとも個性的な字形を持つのは秀英舎(現大日本印刷株式会社。株式会社写研の写植書体「秀英明朝 SHM」は秀英舎初号(図5)の覆刻)ですが、明治18年頃は秀英舎は築地活版から活字を入手しており、まだ自社独自の書体を開発しておりません。この一号太仮名は毛筆手書きと活字として定型化をめざす間で揺れ動く字形を見せています。 では築地体一号太仮名の特長はなにか。それは秀英仮名より正方への指向が強く、しかし手書きの運筆を色濃く残していることでしょうか。築地体初号、三十五ポイント仮名と比べてみるとわかりますが、ほとんどの文字に脈絡を残しています。秀英仮名よりもはるかに多い。そして築地活版の平仮名書体の中では個性が強い書体ですが、秀英舎仮名ほど強い個性を持っていませんから、組み合わせる漢字書体で悩むことはないのではないかと思います。秀英舎仮名ですとあの曲線を多用したでっぷりとした漢字書体でないとどうも合いませんが、築地体一号太仮名はもっと使いやすいはずです。あまり使われてはおりませんが、きっと面白い文字組みが作れるのではないでしょうか。 |
活字の基準寸法 日本工業規格 JIS Z 8305-1962 図4 図5 | ||||||
築地体初号仮名(PDF: 604KB) |
|||||||
■これまでの連載 →第1回 上海から明朝体活字がやってきた →第2回 四角のなかに押し込めること →第3回 ゴマンとある漢字 →第4回 長嶋茂雄の背番号は3 では「王」の背番号は |
|||||||
|