タイポグラフィの世界  
   
 
 
小宮山博史
 
 
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    日本活字史上江川行書ほど個性的な行書は出現したことがありません。唯一無二ともいうべきこの行書を揮毫したのは書家の久永其頴(ひさながきえい)で、江川次之進の創業(明治16年)になる江川活版製造所の主力書体です。
 日々の生活での筆記はまだまだ毛筆手書きであった時代、人々の生活に合わせたのか楷書体、行書体、草書体、隷書体活字が数多く制作されました。たとえば小室樵山(こむろしょうざん)の弘道軒清朝体(こうどうけんせいちょうたい)(図16)、湯川梧窓(ゆかわごそう)の南海堂草書・行書・隷書(図17)、吉田晩稼(よしだばんか)の晩稼流など書家が揮毫した書体をあげることができます。
 この江川行書は明治20年頃から母型製造に着手したと『印刷雑誌』第1巻9号(明治24年10月)に掲載された江川活版製造所の広告に書かれています(図18)。この広告の江川行書のサイズは右の8行は二号、次の注意書きは五号、黒丸の下は二号、社名は一号、支店名は二号、住所は五号です。江川活版は『印刷雑誌』第2巻第9号(明治25年10月)に三号行書の発売予告(11月15日発売)広告をうちます(図19)。
 江川活版三号行書の覆刻には、発行が明治40年頃と思われる青山進行堂の総合見本帳『活版略見本』をはじめとして、いくつかの印刷物および活字を使用しました。江川活版の総合あるいは総数見本帳は残念ながら見ておりません。それらを刊行したかどうかも実はわかりません。
 漢字は一字の中のある画を筆の腹を使って思い切り太め細太のコントラストを強調した造形で、この傾向は片仮名にも見られます。平仮名は細太の差はありませんが、その字形は奔放、線質は勁烈で誰でもが書けるものではありませんし、現在のタイプデザイナーにはとても歯が立たない造形でしょう。ただ活字という正方形のボディの中に、本来自由闊達であった文字を収めようとしたとき、書とはすこし違った造形にならざるを得ないのかもしれません。しかし驚くほど個性的です。この書体をどう使いこなすか、とても興味あるところです。
 覆刻にあたって原字用紙にトレースし、墨を入れる作業は思ったほど難しくはなく、線の動きと墨入れの手の動きには乖離がなく、自然に運筆できたという印象が残りました。
『日本の活字書体名作精選』の9書体について、その背景と書体特性を綴りました。これほど長くなるとは思っていませんでしたが、書いてみて書体の開発の後ろにはその時代の息づかいがあることを再確認できました。府川充男氏は「いかなる書風も時代の子である」と言っておりますが、まさに名言だと思います。
   






弘道軒清朝体
図16
南海堂
図17
晩稼流

図18



図19
           
   

築地体初号仮名PDF: 604KB)
築地体三十五ポイント仮名PDF: 960KB)
築地体一号太仮名PDF: 756KB)
築地体三号細仮名PDF: 720KB)
築地体三号太仮名PDF: 288KB)
築地体前期五号仮名PDF: 1.4MB)
築地体後期五号仮名PDF: 1.3MB)
築地活文舎五号仮名PDF: 388KB)
江川活版三号行書仮名PDF: 1.3MB)

     
           
    ■これまでの連載
→第1回 上海から明朝体活字がやってきた
→第2回 四角のなかに押し込めること
→第3回 ゴマンとある漢字
→第4回 長嶋茂雄の背番号は3 では「王」の背番号は