タイポグラフィの世界  
   
 
 
小宮山博史
 
 
  →PDF版 (1.4 MB)

 
    築地体前期五号仮名は、明治27(1894)年6月改正『五号明朝活字書体見本 全』(図9)収録の見本から覆刻しました。
 ただし「前期五号」という名称は今まで使われたことはありません。この名称は府川充男氏が命名したものですが、印刷史研究会でもこの名称を使って築地活版の五号仮名を分類しています。「前期五号」といっていますが正確にはこの仮名の前にもう一つの五号仮名が存在いたします。しかしそれは模索期の書体の特長である字形のぶれ、試行錯誤のあとがわかる1字種複数字形をとっているものです。活字書体は1字種1字形に定着することで、どこに使われても同じ字形であることから人々に書体を意識させないようになり、その結果いろいろな内容の文章に対応できる効果を持つことができます。ですから前期五号の前に出現した仮名はいわば暫定的なものです。
 手元にある築地体前期五号仮名に先行する「模索期仮名」を使ったもっとも古い印刷物は、明治6(1873)年11月25日付『官許東京日々新聞』第541号です(図10)。この書体は正式には築地活版の前身である平野活版で作られたものです。本木昌造に全権をゆだねられた平野富二は明治5年7月新鋳の五号活字を持って長崎から東京に進出します。東京日々新聞は第540号(11月24日)から勧工寮製の活字よりはるかに品質が高いこの平野活版の新鋳五号に一挙に切り替えます。第539号までは、明治2年11月から4ヵ月にわたってウイリアム・ギャンブルから活字制作・活字印刷の講習を受け、講習後本木昌造達と袂を分かった人達が拠る勧工寮製の活字を使っていました。第539号の発行は11月22日ですが、翌23日は休刊日ですのでこの日に活字すべてを入れ替えたわけです。
 先行する模索期平仮名は文字の大小が目立ち、正方形化が未成熟ですが、平仮名を正方形の中に入れるなど常識の外であった時代に、よくこの形までもってきたものだと感心いたします。片仮名の横画は水平で細く右端には明朝体の特長である「ウロコ」を付けています。これこそ明朝体片仮名ですが、漢字と差別化しにくい字形もできてしまうので、このデザインは破棄されたのかもしれません。
 模索期仮名が破棄され、前期五号仮名が東京日日新聞に登場するのは、明治7年5月14日付第687号ですので、制作時期は明治6あるいは7年ということになります。種字彫り師は明治5年に入社した竹口芳五郎でしょうか。前期五号仮名に切り替わったといっても、第2面の「報告」(広告です)は以前の仮名を使って組んでいます。平仮名の何字かはまだ古いものが残っていますし、新旧のものが混在して使われてもいます。この新刻の仮名は文字に傾きのゆれがあり、大きさに大小は残っていますが模索期仮名にくらべ正方形への定型化は格段に進んでいます。字形や線質には今の書体に見られない躍動感があり、荒削りな造形に創成期の意気込みが感じられ、美しい書体のひとつです。しかし片仮名は水平な横線、先端のウロコなど模索期仮名をそのまま使っています。
 この平仮名はその造形の新鮮さと美しさによって、日本を代表する本文書体として多くの活字鋳造所から販売され、また部分的に改刻されながら長期間にわたり使われ続けたもっともポピュラーな書体となりました。
 第687号はマイクロフィルムからの複写資料しかなく見にくいので、手元にある第765号(8月8日)を図版として掲載しますのでご覧ください(図11)。
 ではなぜ日本で五号活字が本文用として定着したのでしょうか。明治2(1869)年11月上海から明朝体6サイズを導入したとき、Small Pica(11ポイント、五号。角寸法約3.7ミリ)が上海の北米伝道会印刷所の本文用として使われていましたが、大きくもなく小さくもなく適当な大きさと本木昌造等は感じたのか、あるいはそんなに複雑に考えずただ倣っただけなのか、わかりません。寧波に着任したウイリアム・ギャンブルは欧米人にとっての基本サイズであるPica(12ポイント)で漢字活字を作らず、明確な意志をもって1ポイント小さいサイズで開発したと思うのですが、その理由は残念ながら資料もなく現在のところわかりません。それまでは Three-line Diamond(四号、13.5ポイント)が本文用漢字活字として世界各地で使われていました。種字制作が金属材への直刻から彫りやすい木材への直刻にかわったこともたしかに原因には違いありませんが、一挙に2.5ポイント小さくしたのはなぜでしょうか。なんだか鉛を飲み込んだような気分がずっと続いています。
 ともかくも日本ではSmall Pica 11ポイントを本文活字のサイズと決めたことで、こののちこの活字を基本とするタイポグラフィのシステムが確立されることになります。
   
図9

府川充男











図10



勧工寮
































図11
           
   

築地体初号仮名PDF: 604KB)
築地体三十五ポイント仮名PDF: 960KB)
築地体一号太仮名PDF: 756KB)
築地体三号細仮名PDF: 720KB)
築地体三号太仮名PDF: 288KB)
築地体前期五号仮名PDF: 1.4MB)
築地体後期五号仮名PDF: 1.3MB)
築地活文舎五号仮名PDF: 388KB)
江川活版三号行書仮名PDF: 1.3MB)

     
           
    ■これまでの連載
→第1回 上海から明朝体活字がやってきた
→第2回 四角のなかに押し込めること
→第3回 ゴマンとある漢字
→第4回 長嶋茂雄の背番号は3 では「王」の背番号は