川畑▲「書く/描く」の問題に関して、興味深い文献を紹介しておきます。描壇も少し理論武装しておかなきゃいけないから(笑)。
 1925年に大阪で刊行された描き文字集の序文として、当時、大丸呉服店(現・大丸)の社長・下村正太郎(1883〜1944)が寄せた一文なんですが、ここで彼は、「書く」と「描く」を明快に使い分けています。
     
☆註13…下村正太郎「序」、和田斐太『装飾文字』太平洋装飾研究所、1925年。傍点は引用者。 我国や支那には古来書道なるものありて、文字の書き方を錬磨し、室内装飾として文字の掛物を吊し、文字の額を掲げ之を賞玩するなど、西洋の国々には見られぬ、一種の美風があります。従つて商業広告の上に用ゐられる文字にも、相当の注意が払はれまして、店頭に掲げる看板、商品の貼紙、上包、顧客に配る引札等の下書は、多くは時の名のある書家に乞うて、揮毫(きごう)してもらうたものであります。併しながら此等は皆書かれたる文字でありまして、英語で所謂(いわゆる)レタリング、即文字を描くといふことは、我国にては、従来傘屋、提灯屋の他は、余り研究しなかつたやうであります。
 これに反し、西洋にては、文字殊(こと)に広告に用ゐる文字は、書くより寧ろ描くといふ方面に、発達してまゐりまして、現今では、之を教へる学校さへあり、又之に関する著書も、沢山出版されて居ます[☆註13]
     
☆註14…加藤紅太郎『最も新しい広告意匠文字集』誠光堂、1932年。

☆註15…萩野光風「図案文字の必要」、東京洋画研究会編『新しき図案文字の描き方』富永興文堂、1934年。

   つまり、下村の解釈では書道(カリグラフィ)は「書く」、レタリングは「描く」が適当だというのです。ちなみに下村正太郎という人は、かなりの知識人で、西洋文化にも造詣が深い人物だったようです。 京都で呉服商を営んでいた下村家の11代目で、早稲田大学大学部商科で学び、1907(明治40)年には、はやくも欧米の実業界を視察しています。三越の日比翁助(ひびおうすけ)(1860〜1931)や阪急の小林一三(1873〜1957)らとともに、百貨店文化を築いた財界人のひとりです。大丸といえば、1933年に竣工した大阪ミナミの大丸百貨店大阪支店(現・大丸心齋橋店)が建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964)の商業建築の代表作として有名だけど、前年に竣工した下村正太郎の京都の自邸もやはりヴォーリズに依頼されたもので、英国チューダー様式のすごい洋館(現・大丸ヴィラ/京都市登録有形文化財)。
平野● やっぱり本物の金持ちにはかなわないね。最近のIT長者と違って、含蓄があるよね(笑)。
小宮山■「書く/描く」を使い分けた例は、ほかにもありますか? あるいは描き文字と書道との違いを指摘したものは?
川畑▲ そこはものすごくいいかげんです(笑)。どう違うかという点はだれも明確に定義していない。そもそも描き文字の定義ですら、「所謂書道にない美術家の手により行はれる文字」[☆註14]や 「図案文字と云ふのは模様的に形付けられた文字[☆註15]」といった程度ですから。少しまとまっているのが、つぎのものです。
     
☆註16…飯守勘一『日本広告辞典』新聞之新聞社、1932年。 意匠文字【Designed letter】普通活字(明朝体)書体によらず、美的形状を具備する文字を意匠文字と呼ばれる。変体即ち文字の一部を省略したもの、全体の形状を変化したもの、他の物象を附加したもの、文字の線等に加工したもの等がある。意匠文字は、表題、惹句(じゃつく)スローガン等に使用され、読者の注意をより多く惹きつけんとするものである[☆註16]
     
     だけど、これでも納得できない。活字との差異は意識していても、書道との違いについては語っていないから。もっとも、書道に取って代わろうという別の主張はありますね。
     
☆註17…矢島週(ママ)一「図案文字の意匠と其手法」、『現代商業美術全集』第15巻「実用図案文字集」アルス、1930年。 新時代の理想として創造は美術家の自由である。書道の新しき頁は図案文字によつて展開される。書家は異端者と言ふが、時代の要求は彼らの省みる暇がなくなった。美しいモダン文字は魔術の如き近代的魅力を発生させて居る[☆註17]
     
     さきほど、タイポグラフィ史があまりにもジャンルにとらわれすぎていると毒ついておきながら(笑)、この問題にこだわるのは、“描き文字”が書道とどう違うのかという点を明確にしておきたいからです。
     
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