川畑▲ 小宮山さんに質問があります。御著書『レタリング』(書肆絵と本、2001年)に、「“Lettering”は文字をデザインし、“Typography”は言葉をデザインするものと考える」という一節があります。「言葉をデザインする」とは?
小宮山■ 文章の意味ですね、言葉の集合体が文章ですから。この本は書体デザインについて著したものです。たぶん欧米では書体開発のために原図を書くことをレタリングと呼んでいるはずですが、日本ではいまだに書体デザインにレタリングという言葉を充てたことがない。ぼくは書体デザインもレタリングと考えているんです。そうすると、書体デザインは一字ずつのデザインで、それを組んだとき、文章として組み上がったときがタイポグラフィという意味で書いたつもりなんです。
 書体デザインの問題についていえば、原図は文字を描くという行為からはじまりますよね。日本の組版システムは従来から正方形を使ってきたので、いまも正方形を踏襲していますが、こだわる必要はないと思うんです。正方形というのは金属活字の歴史をそのまま受け継いだだけであって、デジタル時代にふさわしいとはいえない気がします。正方形にしておけば、縦組みでも横組みでも組める。だけど組み方向と書体デザインは密接な関係にあるから、本来なら縦組み用と横組み用は別にデザインされるべきだけど、そこはほとんど手つかずのまま。
 とりわけ横組みの場合は、字間のバラつきが目立ちますから、プロポーショナル・ピッチにならざるを得ません。欧文活字と同じように仮名の文字スペースは各字種によって異なりますから、一律に詰めるじゃなくて、最初からプロポーショナルという概念があって然るべきだと思うんです。現行のデジタル・フォントにもプロポーショナル・ピッチがありますが、あれはすごくいい加減です。欧文活字の組版は個々の活字自体のピッチが違うベタ組みで組むのが基本ですよね。
平野● なるほど、考えられたプロポーショナル・ピッチ。
小宮山■ 今後は和文フォントも、もっと厳密なプロポーショナル・ピッチと取り組んでいかざるを得ない。ただ縦組みの本文では、引き続きベタ組みが主流だと思いますが。
川畑▲ 書体開発の現場も、新たな段階を迎えたということですね。それで思い出したんですが、佐藤敬之輔さんが非常に重要な指摘をされています。
     
☆註9…佐藤敬之輔『日本字デザイン』1、丸善、1970年。 明治百年、洋式印刷術や鉛の活字が移入されて以来、日本文の量産表現の技術は、たとえば新聞活字の自動鋳造機など、ある意味では外国以上に進歩した。しかし文字の姿は、人の心や文化の伝統につながるものだけに急に進むものではない。レタリングデザインはこうした両面、つまり工学的な要求と、精神世界の要求との両方を調整するものだといってもよい[☆註9]
     
   

 先ほどのプロポーショナル・ピッチの問題は、まさに「工学的な要求」だとおもうんですが、ここで論じられている問題「工学的な要求と、精神世界の要求との両方を調整するもの」は、あきらかに描き文字が担うべき世界観を示していますよね。少なくともここで用いられている「レタリングデザイン」には、書体開発以外の要素も含まれているとおもえるんです……この点はいかがでしょか?
小宮山■ 紹介された佐藤の主張は、活字書体を念頭においたものです。たしかに活字には工業製品としての性格が強いんですが、実はそこには日本固有の文化や精神性も含まれています。ですから、日本の文字は日本そのものともいえます。いわば、日本の文字をデザインすることは日本のいまを考えること、いまの文化を表徴することにほかならない。書体デザインにしろ描き文字にしろ、日本の文字をデザインすることには変わらない。それならば「レタリングデザイン」の範囲を書体デザインや描き文字に分類することにたいした意味はない。発想や制作のプロセスは異なるにしろ、いま描き文字に求められているのは、精神世界を直截的にそして強烈に具現化することです。書体デザインも人びとの心の深いところを流れ、表には現れにくい精神世界を具現化するものです。そしてともに現在のテクノロジーを駆使して表現し、再現するという工学的な側面もある。文字を使って、人びとが求めながら自分では表現できない言葉や形を現実のものとして提示すること、それが「レタリングデザイン」だと思います。
平野● 解釈にもよるんだろうけれど、ぼくにいわせれば、レタリングで「工学的な要求と、精神世界の要求」を調整できるとは思わないね。第一、両者を「調整する」んじゃなくて、相対する両者をよろこんで受けいれて、お互いのよいところをチョイスしたほうがいい。
 そう考えると「調整する」よりは「止揚する」としたほうがいいんじゃない? 善し悪しは別として、いまや、工学的なものに精神的なものを感応させようという時代に突入しているわけだから。

     
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