先ほどのプロポーショナル・ピッチの問題は、まさに「工学的な要求」だとおもうんですが、ここで論じられている問題「工学的な要求と、精神世界の要求との両方を調整するもの」は、あきらかに描き文字が担うべき世界観を示していますよね。少なくともここで用いられている「レタリングデザイン」には、書体開発以外の要素も含まれているとおもえるんです……この点はいかがでしょか?
小宮山■ 紹介された佐藤の主張は、活字書体を念頭においたものです。たしかに活字には工業製品としての性格が強いんですが、実はそこには日本固有の文化や精神性も含まれています。ですから、日本の文字は日本そのものともいえます。いわば、日本の文字をデザインすることは日本のいまを考えること、いまの文化を表徴することにほかならない。書体デザインにしろ描き文字にしろ、日本の文字をデザインすることには変わらない。それならば「レタリングデザイン」の範囲を書体デザインや描き文字に分類することにたいした意味はない。発想や制作のプロセスは異なるにしろ、いま描き文字に求められているのは、精神世界を直截的にそして強烈に具現化することです。書体デザインも人びとの心の深いところを流れ、表には現れにくい精神世界を具現化するものです。そしてともに現在のテクノロジーを駆使して表現し、再現するという工学的な側面もある。文字を使って、人びとが求めながら自分では表現できない言葉や形を現実のものとして提示すること、それが「レタリングデザイン」だと思います。
平野● 解釈にもよるんだろうけれど、ぼくにいわせれば、レタリングで「工学的な要求と、精神世界の要求」を調整できるとは思わないね。第一、両者を「調整する」んじゃなくて、相対する両者をよろこんで受けいれて、お互いのよいところをチョイスしたほうがいい。
そう考えると「調整する」よりは「止揚する」としたほうがいいんじゃない? 善し悪しは別として、いまや、工学的なものに精神的なものを感応させようという時代に突入しているわけだから。 |