★図17…矢島周一(大阪広告協会編『大阪広告人名鑑』大阪広告協会、1933年より)

  川畑▲ さて、さきほどから名前が挙っている矢島周一に移りましょう。
 矢島周一(1895〜?)は、岐阜の出身で1915年頃、大阪の西濃印刷に入社、描き版工からスタートして、22年には独立して大阪西区に「ヤシマスタジオ」を設立しています。20年代後半になると「ヤシマスタジオ」は、多田北烏(ほくう)(1889〜1948)が主宰する東京の「サンスタジオ」とともに、「東のサンスタジオ、西のヤシマスタジオ」と呼ばれるまでに成長します。矢島は団体活動にも積極的で、28年1月結成の「大阪商業美術家協会」に参加したり、30年4月結成の「大阪印刷美術協会」の相談役に就いたりと、草創期の大阪デザイン界を担った人物です。
 1926年3月、矢島の第一著書 として刊行された『図案文字大観』[★図18]は、この時代を代表する描き文字集です。漢字約2000字を各10書体、カタカナ約80書体、ひらがな約20書体などを収録した、まさに書体開発派と呼ぶにふさわしい内容です。1934年の時点で増訂9版にまで至っていますから、描き文字界のベストセラーともいえます。
 ただ、描き文字が全字体をカバーすることに、どれほどの意味があったのかという点には疑問が残りますね。純然とした書体開発としてはおもしろいけど、現実的にみればその役割は金属活字が担っていて、不可侵の領域だった。その点まで射程に入れていたかといえば、非常にあやしい。やってることはすごいけど、本当にやる意味があったのか問われると……。
     
★図18-1…矢嶋週一『図案文字大観』
(彰文館書店、1926年)より
 
     
★図18-2…矢嶋週一『図案文字大観』(彰文館書店、1926年)より  
     
★図18-3…矢嶋週一『図案文字大観』(彰文館書店、1926年)より  
     
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