平野● 読めない。ただここには便化というよりも、コンポジションというか、新しい芸術イズムが満ちているね。しかも工業化された社会への批判めいたものさえ感じられるね。
川畑▲ 東京の描き文字もけっこういい?
平野● すごくイケてるよね。どっちかというと大阪よりも“流行”がもろに入ってきているというところが。これなんかどうみても人の顔だもんね、イヤラシイおじさんの顔。だから描くという行為がモロにでてる。
川畑▲ 平野さんの場合は、描き文字の描き方をなにから学んだんですか?
平野● ヨーロッパの、とくにチェコの挿絵だね。ヨーゼフ・チャペックとかヨーゼフ・ラダとか。彼らの線の使い方や、雰囲気だよね。
川畑▲ チャペックやラダを見ていると、頭のなかに文字のかたちが浮かんでくるんですか?
平野● 文字があるでしょ。その文字の内容を考えていくときに、ラダみたいな描き方で描こうとか、チャペックのような線にしようとか。ただアール・ヌーヴォーではないんだよね、表現主義とか構成主義とか……それにロシア・アヴァンギャルド。そのあたりのイメージで描ければ一番気持ちいいんだけど、描けないと同時代の日本へいっちゃう。でもアメリカにはいかないんだよね。
川畑▲ 初版と訂正増補版を比較してみてどうですか?
平野● この人たちがやったことをぼくが繰り返しやっているという印象だね。きっと、初版の描き手たちが同時代的に見たであろう図像を、ぼくが追体験してるんだろうね。しかも彼らはすごく限られた情報のなかから、みごとにエッセンスを抽出してるよ。ただ訂正増補版になると、かなり俗化しちゃってるね。
川畑▲ 俗化している部分とはなんでしょうか、手あかにまみれたというか……。
平野● いやいや(笑)、あこがれが少ないというかさ。身近なところで済まそうという気配を感じるのよ。そこが描き文字や書体開発の怖さみたいなもんで、どこかのメーカーが新しい書体を発売すると、すぐに似たような書体をおっかけで発売して、つまらなくしちゃうのと同じ。
小宮山■ 訂正増補版の文字を描いた人には、あまり感動がないんですかね?
平野● いやわかりませんね。いいと思ってつくっているんでしょうから。
川畑▲ 通俗化すると、“賞味期限”を迎えてしまうということでしょうか?
平野● いまから見ればね。ただ、描いていた当時はより完璧に近づきたいという気持ちがあるんだろうけど。
川畑▲ 平野さんは描き文字に“賞味期限”があるとお考えですか?
平野● あると思うよ。
川畑▲ たとえば、平野さんが装幀された初期の代表作のひとつに、木下順二さんの『本郷』(講談社、1983年)がありますよね。あれはどうですか?
平野● あれも切れかかっているね。もう手法というか、精神が古い。考えていたことが古びちゃって。あさはかというんじゃないけど、若描きってあるじゃない、他人が見てもわからないけど。もちろん初版のほうがいい場合だってあるし、一概にはいえないんだけど。
川畑▲ ご自身のなかでの葛藤ですよね。
平野● そうそう。
川畑▲ この連載のために、いまの『本郷』を描いてもらえませんか?
平野● いいですけどね。ちょっとしたことなのよ、ほんとに。
川畑▲ いやいや、そのちょっとしたところに興味があるんです(笑)。

     
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