川畑▲ さて、矢島は同時期にもうひとつの実験を試みています。「構成活字」や「複合構成活版」という方法論です[★図25]
 『図案文字の解剖』が既存の書体を幾何学的に分解する作業だったのに対して、「構成活字」は正反対の“数理的に造り上げた図案文字”といえます。1928年9月の大阪商業美術家協会第一回展にも出展され、29年に「片仮名組立構成活字と型摺文字」として実用新案登録されたようです。型摺文字とはステンシルの意味です。
 1930年、矢島はこう著わしています。

     
☆註10…矢島週一「図案文字の意匠と其手法」、『現代商業美術全集』第15巻「実用図案文字集」アルス、1930年4月。 幾何学的線状は一種の美を持つて居る。この美しい線は数学的に正確で確定的である。この組合を以つてすれば型の統一と其普及に至便にして活字型及標準字型を制定するに容易である且つ又美しき形を得られる[☆註10]
     
☆註11…「バウハウス双書『シャブローゲン・シュリフト』が発表されたその同じ月に、私が構成活版文字(円の四等分、方形の二等分「二等辺三角」)を発表した。形こそ異なっているが理論的手法は全く同じで、洋の東西を問わず、物事の理が一致したことは全く不思議であった」(矢島周一「商業美術の今昔――主に関西を中心として」、日本デザイン小史編集同人編『日本デザイン小史』ダヴィッド社、1970年)。なお文中の「シャブローゲン・シュリフトSchablonenschrift」は、ヨーゼフ・アルベルスが創案したシングル・アルファベットのステンシル書体で、1926年、書籍・広告美術雑誌『オフセットOffset; Buch- untd Werbekunst』バウハウス特集号(1926年第7号)で発表されている。    同時代のヨーロッパでは、バウハウスのヨーゼフ・アルベルス(ジョセフ・アルバース)、ヘルベルト・バイヤー、ヨースト・シュミットや、ハノーヴァーのクルト・シュヴィッタース、チェコのカレル・タイゲらが同じような問題と取り組んでいました。当時、日本では「標準文字」や「標型文字」と呼んでいました。矢島によれは、それを真似したのではなく、まったく同じ発想だったことにむしろ驚いたと述懐しています[☆註11]
 当初の実験はカタカナに限定されたものでしたが、やがて活版エレメントで、漢字や仮名を描けないだろうか、という方向に向かって行き、最終的にそれをイラストレーションにまで拡大させています[★図26]
 ヨーロッパのそれが新しい時代に即した書体開発を意識していたのに対して、矢島の場合は、結果的に文字の領域だけでなく、イラストレーションにまで拡張させたところが特徴でしょう。いわば、新手の分合活字のような……。
平野● 分合活字というより、ビットマップの発想だね、これは。
川畑▲ そうですね、ビットマップといったほうがわかりやすい。着想としては画期的ですよね、先見の明があったというか。
 ただ描き文字が絶対に陥ってはならない世界という気もします。率直な感想をいえば、初期の「構成活字」までは理解できるけど、最終的にたどりついた「複合構成活版」はちょっと技術偏重というか……おもしろい発想だけど、描かれた文字自体に魅力がないというか(笑)。
平野● そうつまらなくはないよ、おもしろいよ。
川畑▲ そうかなー。でも平野さんはこの種の方法論では描かないでしょう?
平野● いやおれは描いたよ、カタカナだけは。正方形が7つの図形に分割してある「タングラム」というパズル、あれを使って描けるだろうと。やってみたら、けっこういいものが描ける。横長や縦長になっちゃうけど、それがタングラムの宿命みたいなもんで、おもしろいわけ。韓国のアン・サン・スーが、ハングルを上下に分けておもしろい味をだしたのと同じでね。だから、矢島の「複合構成活版」にも可能性があると思うよ。
 でも、おれの場合はそこから戻ってくるよね、行きっぱなしになっちゃうとマズイから(笑)。戻ってきて、もう1回行くとかさ。
川畑▲ ある種の行き詰まりを感じるから戻るんですか? それとも深みにはまるとヤバイと思う気持ちのほうが先にたつとか……。
小宮山■ 失敗したと思って戻るとか?
平野● 失敗したとは思わないんだけど、やはりそれだけじゃないということだよね。表現できる幅が非常に狭いから。
川畑▲ タングラムみたいな矩形だけだと、当然、描ける文字と描けない文字がでてきますよね。
平野● そうそう、ひらがなとか漢字は無理なわけだ。実際にはやっちゃって、すごい形になるけど(笑)。さっき長方形ツールの話をしたけど、ある意味でこういう金縛りにあったような状況というのは、けっこう可能性がある。エレメントが限定されると、おもしろい形が生まれたりするわけ。どうしても四角のなかに納めなくちゃいけないとなると、首をしめちゃうことになるけどね。もっと、どんどんはみだしていっていいんだと。
川畑▲ はみだしていけば、形としての可能性は広がるけど、文字はつねに可読性の問題を抱えていますよね。「行きっぱなしになっちゃうとマズイから」というのは、可読性の限界を探るというプロセスなんでしょうか。
平野● “いいかげんさ”だよ。まあそういうもんだけだなということだよね。でも可能性としてはおもしろい。慶應大学の佐藤雅彦先生の研究室がやってるじゃない、ああいう視覚の可能性をさぐる基礎研究も一概には否定できない。そこで仕方がない、こういう字形にしかならない、いくらがんばってもデザインはここまでよ、という逃げ道があるわけね。それを自己弁護にしちゃうとよくないけど、拘束されたなかでのおもしろさってあるじゃない。
川畑▲ たしかに、どの時代でも技術に縛られるという問題はありますね。矢島の場合は活版印刷という時代の技術に縛られて、丸・三角・四角の「複合構成活版」で表現せざるをえなかった面があるかもしれない。技術の限界点みたいなものとして……。ただ、いま平野さんが直面している状況は、技術的な制約からかなり解き放たれていますよね。
平野● ま、縛りがあるのも、ないのも両方使っちゃうね。
川畑▲  シツコイようですけど、そのなかで行って戻ってというのは技術でどんづまるのではなく、脳味噌がストップかけるんですか?
平野● そういうことじゃなくってね。
川畑▲ そのときご自身のなかで、なにが起きているんですか?
平野● まあ、その文字が持つ役柄みたいなもんをさがしてあげるの。おれはお前をこれ で描くよと話しかけるとさ、「イヤよ、それじゃわたしは描けないわ、わたしはそん な機械的な女じゃないでしょ、もっとやさしく描いて」といってくるわけだ(一同 笑)。そしたらなぜるように描いて、もう一回聞くわけ、どうだいって。
川畑▲ 仮に5文字のタイトルだったらそのひとかたまりが重要なのか……。
平野● たとえば「静」という字があるよね。45度を許してもらえれば、カクカクと 四角を並べただけでも描けるわけ。でも考えようによっては柳みたいになよっとし た「静」もあれば、コンクリート・ジャングルにカチカチと響く「静」とか、水面 のサラサラした「静」とか、いろいろあるわけだ。そのときの文体によってもさま ざまだよね。それを黙って聞くわけだ。
     
★図25…矢島周一《構成活字》、『現代商業美術全集』第15巻「実用図案文字集」(アルス、1930年)より  
     

★図26…矢島式構成活字。
右上《母型》 右下《複合的標型文字》
中《矢島式複合構成活版の意匠》
左《矢島式複合構成活版図案》

 
     
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