既成概念が常に正しいとは限りません。特にデザインは時代とともに変化、あるいは進化するイメージが求められているので、時代や状況によりその評価は変わってきます。そのために大切なことは、まず既成概念を否定するところからデザインを見つめ直す訓練ではないでしょうか。ダメだといわれるデザインの方向性やタブーが、本当にダメなのかを、実際に試してみる価値はあります。
 特に若い世代には、「へそ曲がり」の精神を失わないでいてほしいと強く感じています。永遠の定番などは存在しないのです。そして、伝統や定番ルールをどこかで誰かが崩す時が必ず来るのです。崩れてしまった後は、それが定番であり伝統に変わっていくのです。デザインの世界では、いままでの定番とタブーが、ある日突然逆転してしまう不安定な関係というものが常につきまとっていると考えておくべきでしょう。
 つまり、デザインとは保守的であってはならないという問題意識が大切なのです。そして、失敗や偏見を恐れず「面白い」と感じるデザインを積極的に模索すべきだと常に感じています。もちろん、やみくもに「面白さ」だけを追求するのでは意味がありません。それでは単なるメチャクチャの域でしかありません。大切なのは「疑問への疑問」です。「ダメ」といわれるデザインはどうして「ダメ」なのか。そしてそれを「良し」とするためにはどうしたらいいのかという考え方であり、いわば「デザインのためのデザイン」です。
 例えば、通常こんなことは誰も考えませんが、単純な例として【図01】【図02】のように、本文にボールド系の書体を使ったらどうなるかという実験をしてみました。W8というウエイトでは複雑な漢字は潰れてしまい、可読性が弱まってしまいますが、合成フォントにして漢字だけウエイトを落としてみるのもひとつのデザインです。実験では、12ポイントぐらいなら1ウエイト程度であれば差異はそれほど感じないことが分かりますが、状況によっては2ウエイト程度の差は必要かもしれません。
 かなり無謀な実験かもしれませんが、デザインがデジタル化された現在だから可能な処理とも言えます。写植の時代では、小さく太い文字は印画紙の現像状態などでずいぶん結果が異なってしまうことが多かったからです。同じ指定をしても、仕上がりでばらつきがありました。さらに、その後の製版段階でフィルムや刷版の作成のため、何回も反転複製を繰り返すワークフローが控えていました。これで発生する網点の太りや擦れにより、細部が潰れるといったことで苦労していたために、デリケートでシビアなデザイン処理は敬遠されていたのかもしれません。
 つまり、グレーゾーンには踏み込まないという処世術でした。処理結果にブレが大きい場合に、その調整で苦労することは本来のデザインからはほど遠い処理です。もちろん、その調整こそがデザインという場合もあるかもしれませんが、文字組みデザインを写植という外注に完全依存していた頃のデザイナーにとっては「避けたい」というのが本音だったはずです。少なくとも私はそうでした。
 
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