それからもうひとつ,開成所の教員をやっていた柳河春三蔵版の『法朗西文典』[★図41],この前編は慶応2(1866)年に出まして整版ですが,後編の本文が活版印刷です。これに使われている活字というのがまた分かりません。開成所で使われた欧文活字とも明らかに違っています。それぞれ特定の一書につかわれただけで他に一致する活字が全然ない,というのが私の知る限り「ガラムマチカ」と柳河春三の『法朗西文典』後編に遣われた活字の資料情況です。
 こうした国産の欧文活字に対して和文鋳造活字ですが,一番最初にとりかかったのは薩摩藩です。薩摩の蘭癖大名・島津齊彬の命令で実際に活字の製作に当ったのは江戸の三代木村嘉平という職人です。完成したのは元治元(1864)年ですが,着手は早くて安政3(1856)年ぐらいです。
 図版が三代木村嘉平の残した活字の清刷[★図42]です。かつては県指定文化財だったんですけれども,今では重要文化財となっています。鹿児島の尚古集成館に電胎母型で作られた活字そのものもありますし,様々な関係資材を含めて残されているという意味でも貴重です。木村嘉平というのは,代々彫り師の家柄でして,整版を彫るのが本職です。確かに整版本の喉のところに「嘉平刻」とか「邨嘉平刻」と入っていることがあります。三代木村嘉平は「筆意彫り」の名人と謳われた人です。近代日本で最初に企畫された和文鋳造活字はこういう楷書だったわけです。
   
★図41
『法朗西文典』後編……和泉屋半兵衛発兌。慶応3(1867)年。中本。
 
     
 
★図42
三代木村嘉平の製造した楷書活字の清刷。
 
     
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