◆かつて写植時代のデザイナーは、職人芸的な写植オペレーターといかにして出会うかが仕事の完成度を大きく左右していました。それは、どれほどがんばっても文字組みを自分自身の手で形にすることが出来なかった、デザイナーのジレンマかもしれません。どれだけすばらしいデザインを行なっても、最終的な文字組みは写植オペレーターのスキルに100%依存していたからです。
場合によっては、古参オペレーターに「指定が悪い」と指定用紙を突っ返されたことなど、数え上げたらきりがありません。しかし、その経験は文字組みに対する関わり方として、駆け出しの頃の私には大きな財産となっていました。
ところが、今はデザイナー自身がコンピュータ上で組版を行なう時代となり、ある意味で先人の経験値を肌で感じる機会が薄れてしまっているように感じます。処理は先人の技から盗むのではなく、すべてをソフトウエアが決めて完結してしまうような錯覚に陥る、パラドックスのようなものかもしれません。若い世代のデザイナーには、ソフトに振り回されることなく、様々な印刷物の文字の扱いについて自分の目で見て、自分でそれを料理する訓練を続けてもらいたいと切望しています。
さて、今は泣いても笑ってもコンピュータによるワークフローが起点となっています。そしてデザイナー自身が文字組みを行なうようになり、いやが上にも文字に対する高度な取り組み方やセンスが求められています。
そして、そんな時代を通り過ぎてきた私にとっての文字組みとは、いわゆる一般的に論じられている文字組みとは異なった位置にあります。それは、この業界に入った時からパッケージなどのデザインワークを中心としていた関係で、エディトリアルデザインの王道であるページ物のデザインは、ワークフローがデジタル化された後になって始めたという特殊事情があったからです。
もっとも、実際には多少の仕事はしていましたが、個人的な感想として、自分の手で文字を組むわけではなかった当時のページ物の世界には自分のデザインという感覚が薄く、あまり興味のわく仕事とは思っていませんでした。つまり、通常とは逆の関わり方で文字と接してきた経緯があったわけです。そんな私がエディトリアルデザイン専攻で卒業しているわけですから、世の中は摩訶不思議なことばかりかもしれません。
ところが悲しいことに、「組版外伝系」の人たちはあまり情報を発信しないために、すべての文字組みが同一であるかのように思いこんでいる、若きデザイナーが随分増えてしまったのではないでしょうか。そこで「外伝系」の一人として、今まであまり触れられてこなかった異端(?)の世界を数回にわたり整理してみたいと思います。
なお、ここで言う「外伝系」とは、通常のページ物デザインとは異なる文字組み処理や文字デザインを展開しているデザイナー達のことを指します。小説等の本文組みが王道であるとすれば、「外伝系」とは我流の実践系といったところかもしれません。すべての文字組みが、常に同一のルールで使われているとは限らないのです。
     
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